オスマン建築
トプカプ宮殿
イスタンブール、金角湾を望むサラユブルヌの丘に建つオスマン帝国の宮殿。1453年…
建築家 / Architect
メフメト2世(1432–1481)は、オスマン帝国第7代スルタン。1453年、弱冠21歳でコンスタンティノープルを攻略し、千年余り続いたビザンツ帝国を滅ぼした。征服者を意味する「ファーティフ」の名で知られる。
職業的な建築家ではなく、建築の担い手というよりはその発注者・庇護者であった。征服後の都を帝国の首都として再建するにあたり、大規模な造営事業を主導している。1459年に造営を命じたトプカプ宮殿では、四つの中庭からなる基本構成を自ら定め、私室を岬のもっとも高い地点に置いたと伝えられる。ほかに自身の名を冠したファーティフ・モスク複合体(キュッリエ)を築き、学問・芸術の保護者としても振る舞った。
宮廷の序列と儀礼を定めた法典(カーヌーンナーメ)を編み、スルタンの不可侵性を空間と作法の両面から制度化した。その理念は、奥へ進むほど人を遠ざけるトプカプ宮殿の閉じた構成にも色濃く反映されている。トプカプを実際に「設計した」のは無名の宮廷職人たちであったが、その全体像を構想し、後世まで受け継がれる枠組みを与えたのはメフメト2世であった。