柱記事 / Pillar — 全18章を1本の年表でたどる
建築様式史
A History of Architectural Styles古代の神殿から現代の超高層まで、様式の系譜を一本の年表としてたどる。建物・技術・出来事の点を、時代という背骨に沿って結ぶ。
FIG. 00 / 章ナビ — 様式史の年表軸
読み筋で絞る / Reading threads
技=構造/技術、意=意匠/様式、用=用途/機能。複数選択で絞り込み。
重要度 / Tier
点の種類 / Kind
人はなぜ建てるのか。住むためだけなら洞窟でも足りる。それでも新石器時代の人々は、身の丈を超える石を立て、足もとの土を高く積み上げた。様式という言葉がまだ意味を…
始原の建築が石を「積み、立てる」段階にとどまったのに対し、地中海では石を「組み、架ける」体系が生まれる。ギリシアは円柱の比例に秩序(オーダー)を見出し、ローマ…
現存する唯一の古代建築書。「用・強・美」の三原理は、ルネサンス以降くり返し参照される理論の源流となった。
ローマがアーチとドームで「内部」を獲得したとき、その技術を待っていたのは、新しい信仰であった。神殿の外観ではなく、堂内に満ちる光と空間にこそ神を宿らせる——キリ…
ペンデンティヴの幾何学が東で別の道をたどったように、ここで視点を地中海の外へ広げよう。本章は時代順ではなく、一つの地理のまとまりである——西アジアから北アフリカ…
東方の幾何学と装飾から視点を西欧へ戻すと、そこでは石を高く積み、光を求める別の探求が進んでいた。厚い壁に閉ざされたロマネスクの重さから、骨組みだけで天へ伸びる…
巡礼路の終点に建つロマネスクの大聖堂。周歩廊と放射状祭室は、巡礼という人の流れが生んだ平面形式である。
© Chabe01 / Wikimedia Commons / CC BY-SA 4.0
© P e z i / CC BY-SA 3.0西欧が石を高く積み上げていたころ、海の東では、まったく異なる原理の建築が数千年を生き継いでいた。木を組み、屋根を架け、朽ちれば建て替える——東アジアの木造建築は…
東アジアの木造体系を後にして、視点をはるか海の彼方——アメリカ大陸へ移そう。ユーラシアの諸文明とほとんど接触のないまま、ここでは独自の記念碑文明が花開いた。鉄も…
新大陸を後にして、視点をもう一つの空白域——サハラ以南のアフリカへ向けよう。エジプトの石の文明は第1章で見たが、その南には、まったく別系統の記念碑が育っていた。一…
FIG. 08a — 様式帯 / STYLE BANDS
© Sailko / CC BY 3.0FIG. 03–08s / 文明圏スイムレーン — 同時代を横に読む
CH.03〜08 の全 55 点を、全期間を等スケールにした一本の時間軸へ配置(横位置=代表年)。横スクロールで各文明圏の並行展開を辿る。初期表示は中世盛期に寄せてある。
非西欧の大伝統を一巡し、視点をふたたび西欧へ戻そう。15世紀のイタリアで、人々は中世の神中心の世界観を離れ、古代ギリシア・ローマの文化を「再生」させようとした。…
FIG. 09a — 様式帯 / STYLE BANDS
© Petar Milošević / CC BY-SA 4.0
© Quinok / CC BY-SA 4.0ルネサンスが比例と調和に静かな完成を見たのち、建築は一転して動き出す。楕円とうねる曲面、明と暗の劇的な対比——バロックは、見る者の感情を揺さぶる舞台装置となった…
© Alvesgaspar / CC BY-SA 4.0ブラマンテからミケランジェロ、マデルノへ120年を継いだ再建事業。ベルニーニの楕円広場(1656-67)が劇場的空間を完成させた。
星形六角形の平面から螺旋の頂部へ。幾何学を運動へ変換するボロミーニの空間実験の頂点である。
横長の楕円平面に劇的な光を注ぐ小聖堂。ベルニーニ自身が最も満足したと伝わるバロックの凝縮である。
バロックの過剰な劇性が一巡すると、建築はふたたび理性と古典へ立ち返ろうとする。だがそれは、単なる回帰ではなかった。考古学が古今の様式を一望のもとに並べたとき、…
FIG. 11a — 様式帯 / STYLE BANDS
© Terry Ott / CC BY 2.0焼失後の再建はゴシック様式が国家の記憶と結びついた画期。「どの過去を選ぶか」という近代の自意識の象徴である。
「様式を着せる」議論が華やかに続くその足下で、もっと根本的な革命が静かに進んでいた。鉄、ガラス、そして鋼——工場が生み出す新しい素材が、組積造という数千年の前提…
© Philip Henry Delamotte / Public domainロンドン万博のために数か月で組み上げられた鉄とガラスのプレファブ建築。1936年に焼失したが、その速度と透明性は建築の前提を変えた。
鉄とガラスが工業の勝利を高らかに告げたまさにそのとき、それに背を向ける動きが起こった。機械の冷たい大量生産に対して、手仕事のぬくもりを。直線と直角の歴史主義に…
FIG. 13a — 様式帯 / STYLE BANDS
© Canaan / CC BY-SA 4.0世紀末が装飾を咲かせきった直後、建築はそのすべてを投げ捨てる。装飾は罪であり、形は機能から導かれ、家は「住むための機械」であるべきだ——。20世紀前半、バウハウス…
FIG. 14a — 様式帯 / STYLE BANDS
ベーレンスが工場に近代の造形と威厳を与えた主著。事務所からグロピウス、ミース、コルビュジエが巣立ち、モダニズムの直接の母体となった。
© A.Savin / FALピロティ・屋上庭園・自由な平面・横長窓・自由な立面。鉄筋コンクリートが可能にした新しい建築の文法の定式化である。
© Ashley Pomeroy / CC BY 3.0ヒッチコックとジョンソンが欧州の近代建築を「様式」として提示。運動の思想を切り離した命名が世界標準化を進めた。
前章で宣言されたモダニズムは、白い箱と機能主義を掲げ、世界共通の「国際様式」として広がった。だが、その普遍性に、すべての建築家が従ったわけではない。装飾を捨て…
1949年の設計競技に始まる丹下健三の出世作。ピロティの門が慰霊の軸線を通し、戦後日本の建築を国際水準へ引き上げた。
第二次大戦が終わったとき、近代建築は世界を覆う勝者となっていた。だが、その普遍と楽観そのものに、やがて懐疑が向けられる。打ち放しコンクリートに倫理を見いだす者…
© U.S. Department of State / Agency for International Development / Public domain「Less is bore」でミースの純粋主義を反転。多義性と歴史の引用を擁護し、ポストモダンの理論的起点となった。
ポストモダンが過去の様式を「引用」してみせた次に来たのは、形態の言語そのものを問い直す試みであった。構造や設備をあえて外へさらけ出すハイテック。整然とした秩序…
© Zairon / CC BY-SA 4.0ジョンソンらが7組の建築家を束ねた展覧会。運動ではなく展覧会由来のラベルとして「脱構築」が流通し始めた。
航空機用ソフトウェアの転用が、図面では記述できない曲面の設計・施工を可能にした。形態の解放の技術的基盤である。
© Naotake Murayama / CC BY 2.0CATIAで設計されたチタンの自由曲面。衰退都市を再生させた「ビルバオ効果」の語源であり、90年代建築の象徴である。
形態の自由を手にした建築は、いま、まったく新しい問いの前に立っている。気候の危機、資源の限界、社会の公正——「何でも建てられる」時代の次に来たのは、「何を、なぜ…
2019年の火災で尖塔と屋根を失い、2024年に再開。修復技術と伝統技能の継承が世界的な主題となった。
FIG. 99 / 縦糸 — 横断でたどる
文明圏 / Civilizations
- 西欧11
- ビザンティン6
- イスラーム9
- 南・東南アジア4
- 東アジア10
- 新大陸8
- アフリカ7
要素の系譜 / Elements
- アーチ・ヴォールト
- ドーム
- 架構(ラーメン)
- 素材: 石 → 鉄 → コンクリート → 木質



























