ヴェルサイユ宮殿 Palace of Versailles
パリ郊外に立つ、フランス王の宮殿。もとは狩りの館だったが、ルイ14世が1661年から半世紀をかけて、絶対王政の威光を体現する壮麗な宮殿へと造りかえた。鏡の間や広大なフランス式庭園で名高く、ヨーロッパ宮廷文化の頂点を示す。
§1 — 概要概要
ヴェルサイユ宮殿(Château de Versailles)は、パリの南西、ヴェルサイユに立つ、フランス王の宮殿である。もとは狩りの館にすぎなかったが、太陽王ルイ14世のもとで、絶対王政の威光を体現する壮麗な宮殿へと造りかえられた。「鏡の間」や、広大なフランス式庭園で名高く、ヨーロッパの宮廷文化の頂点を示す建築として、世界遺産に登録されている。
歴史
始まりは、1623年にルイ13世が築いた小さな狩りの館であった。その子ルイ14世は、1661年、ここを永遠の住まいと定め、大規模な造営に着手する。まず建築家ルイ・ル・ヴォーが、古い館を石造の新たな建物で三方から包む「エンヴェロップ」を築いた。ル・ヴォーの死後は、助手のフランソワ・ドルベがこれを引き継いだ。室内の装飾は画家シャルル・ル・ブランが、庭園は造園家アンドレ・ル・ノートルが手がけた。
1678年、主任建築家となったジュール・アルドゥアン=マンサールが、宮殿を決定的な姿へと導く。鏡の間、南北の大翼、そして礼拝堂が、彼の手で築かれていった。礼拝堂は、彼の死後、助手ロベール・ド・コットが1710年に完成させた。1682年、ルイ14世は宮廷をここに移し、ヴェルサイユは王国の政治の中心となった。18世紀には、ルイ15世のもとでアンジュ=ジャック・ガブリエルが、オペラ劇場やプチ・トリアノンを加えた。1789年、革命とともに王はパリへ移され、宮殿は王の住まいではなくなった。
建築的特徴
宮殿の中心をなすのは、庭園に面した「鏡の間」である。十七の窓に向かい合って十七のアーチ形の鏡が並び、ル・ブランによる天井画が、ルイ14世の治世を讃える。建物の外観は、イタリアの別荘に学びつつ、フランス古典主義の端正さでまとめられた。一方、ル・ノートルの庭園は、長大な軸線に沿って、刈り込まれた植栽、噴水、彫像を整然と配する、フランス式庭園の極致である。建築と庭園、装飾とが一体となって、王の権威という一つの主題を奏でている。
意義・現在
ヴェルサイユ宮殿は、絶対王政の舞台装置として、ヨーロッパ各地の宮殿の手本となった。鏡の間は、のちにドイツ帝国の成立宣言や、第一次世界大戦を終えるヴェルサイユ条約の調印など、歴史の節目の場ともなった。1979年、その宮殿と庭園はユネスコ世界遺産に登録され、今日もフランスを代表する名所として、世界中から人を集めている。