EST. 2026 — Editorial Archive of Notable Architecture

建築様式史 — CHAPTER 18

現在

The Present

形態の自由を手にした建築は、いま、まったく新しい問いの前に立っている。気候の危機、資源の限界、社会の公正——「何でも建てられる」時代の次に来たのは、「何を、なぜ、どう建てるのか」という、倫理の問いであった。本章では、サステナビリティとデジタルに揺れる建築の「現在」を見わたし、そして、この通史が積み重ねてきた問いを振り返って、結びとする。

脱炭素と素材

21世紀の建築を貫く、最も大きな問いは、気候危機への応答である。建物の建設と運用は、世界の二酸化炭素排出の大きな部分を占める。とりわけ、鉄やコンクリートは、製造の段階で多くの炭素を出す。この、材料に隠れた排出——エンボディド・カーボンを、いかに減らすかが、いま問われている。一つの答えが、木に立ち返ることであった。CLT(直交集成板)など、木の板を直交させて貼り合わせた強靭な木質パネルの登場によって、それまで難しかった木造の高層建築が実現する。ノルウェーのミョーストーネットは、その先駆けの一つである。森が吸収した炭素を建物に固定するこの試みは、脱炭素時代の象徴となった。運用の面でも、高い断熱と気密、自然光や自然換気の活用、太陽光など再生可能エネルギーの導入によって、エネルギーをほとんど使わない建物が目指されている。さらに踏み込んだ答えが、そもそも新しく建てない、という発想である。既存の建物を別の用途に作り変えるコンバージョンが主流の選択肢となり、「最も環境にやさしい建築は、すでに建っている建築である」という言葉が、時代の合言葉となった。この転回を支える足場は、1972年のユネスコ世界遺産条約に始まる保存の国際的な枠組みが、半世紀をかけて用意してきたものでもある。残すことと使い続けることは、いまや文化の選択であると同時に、環境の選択なのである。

パラメトリック以後

前章で見た、コンピュータによる形態の解放は、21世紀にさらに深化した。設計者は、形を直接描く代わりに、寸法や角度といった変数の関係を定義し、その数値を操作することで形を生成する——パラメトリック・デザインである。一つの値を動かせば、関連する形全体が連動して変わる。ザハ・ハディドの流れるような曲線の建築は、その到達点を示した。中国・広州の広州大劇院は、川辺の二つの石を思わせる、うねる自由曲面の歌劇場である。こうした複雑な形を可能にしたのが、設計データから機械が直接部材を作るデジタルファブリケーションの技術であった。一方で、コンピュータは、形を生み出すだけでなく、日射や風、エネルギーの流れを精密にシミュレートし、環境性能を高める道具ともなっている。形態の探求と、環境への応答とが、デジタル技術のうえで結びつきつつある。近年は、膨大な条件のなかから最適な形を探索する生成的な設計や、人工知能を用いた設計支援も現れ、コンピュータは、設計者の道具から、ともに考える相手へと変わりつつある。

社会と建築

もう一つの重心の移動が、建築の社会的な役割への、あらためての注目である。20世紀後半には、世界を驚かせる傑作を生む「スター建築家」が脚光を浴びた。だが近年は、華やかな造形そのものよりも、誰のための、どんな課題に応える建築なのかが、より強く問われるようになっている。災害や気候変動への適応、安価で良質な住宅、地域の素材や技術を生かした建築、公共空間の包摂——そうした、目立たないが切実な課題に、静かに向き合う仕事が、高く評価されるようになった。建築界で最も権威ある賞が、華麗な造形よりも、社会や環境への貢献を重んじる作り手へと、近年その光を向けていることは、この変化を象徴している。建築は、個人の芸術的な表現であると同時に、社会と環境への責任を負う営みである。その自覚が、いま静かに広がっている。

結び——通史の現在地

こうして、私たちは通史の現在地にたどり着いた。振り返れば、人類は、石を積み、オーダーとアーチで架構を確立し、ドームと尖塔で天をめざし、地球の各地で独自の体系を育て、古典を再生させ、装飾と劇性に酔い、過去の様式を選び、鉄とガラスで素材を一新し、装飾を咲かせては退け、地域と感性で多声を奏で、近代を疑い、そして形を解き放ってきた。だが、その営みの根にあるものは、驚くほど変わっていない。重さを支え、空間を囲い、雨と陽をしのぎ、そして人の暮らしと祈り、記憶と願いを容れること。いま、建築は、この根源的な務めを、限りある地球という新しい条件のもとで、もう一度問い直している。積むこと、架けること、囲うこと、そして、すでにあるものを更新し、未来へと受け継いでいくこと。建築の歴史は、ここで終わるのではない。それは、過去から受け取った問いを、未来へと手渡していく営みである。それは、この瞬間も、私たちの手で、書き継がれている。——名建築とは、完成した過去の遺産であると同時に、次に建てられるものへの問いかけでもある。この百科事典が記録するのは、その終わらない営みの、現在までの軌跡にほかならない。