建築様式史 — CHAPTER 14
近代の宣言
Modernism世紀末が装飾を咲かせきった直後、建築はそのすべてを投げ捨てる。装飾は罪であり、形は機能から導かれ、家は「住むための機械」であるべきだ——。20世紀前半、バウハウス、ル・コルビュジエ、ミースらは、過去と訣別する近代の宣言を発した。白い箱と鉄とガラスによる、地域を超えた普遍の様式が、ここに生まれる。
宣言と学校
20世紀初頭、建築は過去との最も激しい断絶を経験する。鉄・鉄筋コンクリート・ガラスという新しい素材と、機械生産という新しい現実を前に、若い世代は歴史的な様式と装飾を一掃しようとした。その素地は前史に用意されていた。1907年に発足したドイツ工作連盟は、芸術家と産業を結んで製品から建築までの質を高めようとする運動であり、ペーター・ベーレンスのAEGタービン工場(1909年)のような先駆的成果を生んでいる。装飾を罪とみなす空気も、アドルフ・ロースの講演「装飾と犯罪」(1910年)がすでに準備していた。この理念を最も鮮やかに体現したのが、1919年にワイマールで創設された造形学校バウハウスである。校長ヴァルター・グロピウスは、芸術家と職人の垣根を取り払い、芸術・手仕事・産業を統合する新しい教育を掲げた。学生はまず予備課程で素材と形の感覚を鍛え、その後、家具・金工・織物・印刷・舞台といった工房で実地に学んだ。カンディンスキーやクレー、モホイ=ナジら前衛の芸術家が教師として集い、量産を前提とした製品やタイポグラフィを次々と生み出していく。1925年に学校がデッサウへ移ると、グロピウスは校舎そのものを設計し、自らの綱領を建築として示した。広大なガラスのカーテンウォールに覆われた工房棟、機能ごとに分けられ非対称に組み合わされた各翼——そこには、装飾を排し用途から形を導くという機能主義の思想が、余すところなく表れている。校長の職は、やがてグロピウスからハンネス・マイヤー、そしてミース・ファン・デル・ローエへと引き継がれた。
コルビュジエの5原則
同じころ、フランスではル・コルビュジエが、近代住宅の文法を定式化していた。「住宅は住むための機械である」と言い切った彼は、著書『建築をめざして』(1923年)で機械の美学を高らかに説き、鉄筋コンクリートの骨組みがもたらす自由を、五つの原則にまとめる。すなわち、建物を細い柱で持ち上げるピロティ、間仕切りを構造から解放する自由な平面、外壁を荷重から解く自由な立面、壁を横へ切り開く横長窓、そして平屋根の上の屋上庭園である。その土台にあったのは、床と柱と階段だけで構成する鉄筋コンクリートの骨組み——ドミノ・システムであった。これがあってはじめて、壁は支持から解放された。五原則をすべて備えた住宅が、パリ近郊のサヴォア邸である。細い柱の上に浮かぶ白い箱は、地面から切り離され、内部はスロープで連なり、歩くにつれて風景が移ろう(建築的プロムナード)。重く大地に根を張ってきた住宅は、ここで軽やかに宙へ持ち上げられたのである。
ミースの普遍空間
ドイツのルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエは、近代建築をさらに切り詰めた。「Less is more」(より少ないことは、より豊かである)を信条とし、装飾を徹底して削ぎ落として、鉄とガラスの簡潔な構成へと至る。1929年のバルセロナ万国博覧会のために設計したドイツ館(バルセロナ・パビリオン)は、その極致である。十字断面の鋼鉄の柱が薄い平屋根を支え、大理石やガラスの壁は、空間を仕切るのではなく緩やかに導くように置かれた。壁は構造から解き放たれ、内と外、部屋と部屋の境は溶け合い、視線と動きが滞りなく流れる。何もないことが、最も豊かでありうる——ミースは、流動する透明な空間によってそれを証明した。パビリオン自体は博覧会の閉幕後に解体されたが、1986年に原位置へ再建され、いまも歩くことができる。彼の理想は、構造の骨組みとガラスの被膜だけで建築を成り立たせる「皮と骨」の構成にあった。後年アメリカに渡ったミースは、ファンズワース邸やシカゴのレイクショア・ドライブ、ニューヨークのシーグラム・ビルで、この理念を鉄とガラスの透明な直方体として完成させていく。
国際様式へ
近代建築は、単なる美学ではなく、社会を改革する運動でもあった。1927年、シュトゥットガルトのヴァイセンホーフ住宅展では、各国の建築家が労働者のための合理的な集合住宅を競って提案した。彼らはCIAM(近代建築国際会議)に集い、日照・緑・交通によって都市を機能的に再編する青写真を描いた。こうしてバウハウス、ル・コルビュジエ、ミースが切り開いた建築は、やがて一つの様式として世界へ広がる。1932年、ニューヨーク近代美術館の展覧会は、これを「インターナショナル・スタイル(国際様式)」と名づけた。白い壁、平屋根、横長の窓、そして装飾の不在——その語彙は、土地の気候や伝統から切り離された、どこでも通用する普遍の建築として規範化された。1933年、ナチスの圧力によりバウハウスは閉鎖へ追い込まれる。だが、グロピウスとミースが亡命先のアメリカで教壇に立つと、この様式はかえって新大陸で開花し、戦後の世界の都市を、ガラスの箱の摩天楼で塗り替えていく。だが、画一的なガラスの箱が世界中の都市を覆うにつれ、無個性や非人間性への批判も募り、地域も風土も問わぬこの普遍性は、やがて反動を招くことになる。次章では、装飾を呼び戻し、土地と素材に根ざそうとするアール・デコ、ライトの有機的建築、北欧モダンといった、もう一つの近代へ目を向ける。