EST. 2026 — Editorial Archive of Notable Architecture

建築様式史 — CHAPTER 13

世紀末の反逆

Arts & Crafts, Art Nouveau

鉄とガラスが工業の勝利を高らかに告げたまさにそのとき、それに背を向ける動きが起こった。機械の冷たい大量生産に対して、手仕事のぬくもりを。直線と直角の歴史主義に対して、自然から引いたしなやかな曲線を。本章では、来るべきモダニズムの「装飾排除」の直前に、装飾と工芸を最後にもう一度咲かせた、世紀末の二つの反逆——アーツ&クラフツとアール・ヌーヴォーをたどる。

アーツ&クラフツ

最初の反逆は、産業革命の母国イギリスから起こった。詩人・デザイナーのウィリアム・モリスは、機械による大量生産が、品物の質を落とすだけでなく、つくる人間から労働の喜びを奪っていると批判した。彼が手本としたのは、一人の職人が誠実に手を動かした中世のものづくりである。この思想は、ゴシックを道徳的に讃えたピュージンや、職人の労働を論じた批評家ジョン・ラスキンに源を発する。モリス自身が住んだ「レッド・ハウス」は、左右非対称で素材を率直に見せた、運動の理念を体現する住宅であった。モリスらが起こしたアーツ&クラフツ運動は、家具や壁紙、織物、書物から建築にいたるまで、生活のすみずみを美しい手仕事で満たそうとした。これは単なる趣味ではなく、産業社会への倫理的な異議申し立てであった。皮肉にも、手仕事にこだわる以上、その製品は高価とならざるをえず、理想とした「万人のための芸術」とは裏腹に、裕福な層のものとなる。だが「生活と芸術の統合」という理念は、海を越え、世紀の変わり目の運動を広く準備した。

アール・ヌーヴォーの曲線

大陸では、この機運がより造形的な形をとる。「新しい芸術」を意味するアール・ヌーヴォーである。その名は、1895年にパリで開かれた美術商の店「メゾン・ド・ラール・ヌーヴォー」に由来する。その建築的な出発点が、1893年にブリュッセルでヴィクトール・オルタが設計したタッセル邸であった。オルタは、過去のどの様式にも頼らず、鉄という工業の素材を、隠すべき構造としてではなく、植物の蔓のような曲線の装飾そのものとして用いた。鞭がしなるように非対称に波打つ線——ホイップラッシュ曲線——が、柱から手すり、壁画、床のタイルまでを貫き、室内を一つの有機的な世界に変える。鉄とガラスを優美な曲線へと昇華させたこの逆説は、瞬く間にヨーロッパ中に広まった。ガラス、鋳鉄、陶器といった素材が、それぞれの可塑性を生かして曲線へと造形されていく。パリでは、エクトール・ギマールが地下鉄の入口を、鋳鉄の植物的な曲線で飾り、街そのものをアール・ヌーヴォーで彩った。建築から食器、衣装にいたるまでを一貫した様式で統べる「総合芸術」の理想が、この時代の作品を貫いていた。

各地の異名

アール・ヌーヴォーは、地域ごとに異なる名と性格をもって展開した。ドイツではユーゲントシュティール、オーストリアではゼツェッシオン(分離派)、イタリアではリバティ様式と呼ばれる。スコットランドのグラスゴーでは、チャールズ・レニー・マッキントッシュが、曲線と直線を独自に統合した、より禁欲的な造形を示した。ウィーンの分離派は、オットー・ヴァーグナーらのもとで、曲線よりも幾何学的で簡潔な方向へと向かい、来るべきモダニズムに近づいた。「時代にはその芸術を、芸術には自由を」と掲げた分離派会館は、その新しい意志を示す建物であった。この幾何学への転回を極めたのがヨーゼフ・ホフマンで、ブリュッセルに建てたストックレー邸(1905-11年)は、直線的な面と贅沢な素材で内外を貫き、装飾の時代の終わりとモダニズムの前夜を同時に告げている。とりわけ独自だったのが、スペイン・カタルーニャのモデルニスモである。その最も独創的な担い手アントニ・ガウディは、骨格や樹木、貝殻といった自然の形態を構造と装飾の源泉とし、直線をほとんど用いない建築を生んだ。色鮮やかな破砕タイルに覆われたカサ・バトリョや、いまなお建設の続く大聖堂サグラダ・ファミリアは、いかなる流派にも収まらない、彼ひとりの宇宙である。

装飾の意味

アーツ&クラフツもアール・ヌーヴォーも、その根には、工業化と歴史主義への共通の反発があった。機械の画一性を手仕事で、過去の様式の引き写しを自然から引いた新しい造形で、乗り越えようとしたのである。なお、本章を歴史主義の時代区分に置いたのは便宜であって、これらの運動はむしろ歴史主義への反逆として現れた点に注意したい。だが、この絢爛たる装飾の開花は、長くは続かなかった。手のかかる装飾は高価であり、また、新しい世紀の合理的な精神とは相容れなくなっていく。1910年、ウィーンの建築家アドルフ・ロースは講演「装飾と犯罪」で装飾を時代遅れの罪と断じ、来るべき無装飾の建築を予告した。世紀末に咲き誇った装飾は、皮肉にも、それを全否定する次の運動の直前の、最後のきらめきだったのである。次章では、装飾をいっさい排し、白い箱と機能を掲げて過去と訣別する、最大の断絶——モダニズムの宣言へと向かう。