アテネのアクロポリスにそびえる、女神アテナに捧げられた古代ギリシアの神殿。ペリクレスの命により前447年に着工し、イクティノスとカリクラテスが設計、ペイディアスが彫刻を統べた。ドーリア式建築の頂点とされ、西洋建築の規範となった世界遺産である。
§1 — 概要概要
パルテノン神殿(Parthenon、ギリシア語: Παρθενών)は、アテネのアクロポリスの丘にそびえる、古代ギリシアの神殿である。都市の守護神である女神アテナに捧げられた。ペンテリコン産の白い大理石で築かれ、ドーリア式建築の到達点とされる。古代ギリシア建築の最も重要な遺構であり、その均整のとれた姿は、二千年以上にわたって西洋の建築の規範であり続けてきた。
歴史
前480年、ペルシア軍はアクロポリスの神殿を焼き払った。ペルシア戦争に勝利したアテネは、政治家ペリクレスのもとで丘の再建に取りかかる。その中心となったのが、パルテノン神殿であった。建設は前447年に始まり、本体は前438年に完成して、ペイディアスが手がけた黄金と象牙の巨大なアテナ女神像が堂内に据えられた。彫刻の仕上げは前432年まで続いた。設計を担ったのは建築家イクティノスとカリクラテスであり、彫刻全体をペイディアスが統べた。
長い歳月のうちに、神殿はキリスト教の聖堂となり、やがてイスラームのモスクへと姿を変えた。1687年、火薬庫として使われていた折にヴェネツィア軍の砲撃を受けて爆発し、中央部が大きく損なわれた。19世紀初頭には、彫刻の多くがイギリスへ持ち去られ、現在も大英博物館にある。その返還をめぐる議論は、今も続いている。
建築的特徴
パルテノンは、周囲をぐるりと一列の円柱が取り巻くペリプテロス式の神殿である。正面に8本、側面に17本、計46本のドーリア式の円柱が立つ。簡素で力強いドーリア式を基調としつつ、内側にはイオニア式の連続したフリーズ(彫刻帯)が回るなど、二つの様式が組み合わされている。柱はわずかに膨らみ(エンタシス)、また心もち内側へ傾く。基壇はゆるやかに反り返る。これらは、人の目に建物が完全な直線・水平として映るように施された、緻密な視覚の補正である。
意義・現在
パルテノン神殿は、アテネの黄金時代と、そこに芽生えた民主政の象徴として語られてきた。その比例と細部は、後世の古典主義建築に繰り返し引かれている。現在はアクロポリスの遺跡として保存・修復が続けられ、1987年にユネスコ世界遺産に登録された。丘の上に立つその姿は、今もアテネの街を見おろしている。