アテネのアクロポリス南西端、入口プロピュライアの傍らの稜堡に立つ小神殿。前5世紀後半に築かれたアクロポリス最初期のイオニア式神殿で、戦勝を願って勝利の女神アテナ・ニケに捧げられた。
§1 — 概要概要
アテーナー・ニーケー神殿は、アテネのアクロポリス南西端、入口プロピュライアの右手にせり出す稜堡の上に立つ小型の神殿である。勝利の女神として崇められたアテナ・ニケに捧げられ、アクロポリス上で最初期の、かつ最も純粋なイオニア式神殿として知られる。聖域に入る者が右手に最初に仰ぐ建築であり、白いペンテリコン大理石で築かれている。設計はカリクラテスに帰される。
歴史
建設の決議は前5世紀半ばに遡るが、実際の造営はペロポネソス戦争のさなか、前427年頃から前424年頃にかけて行われたとされる。市民はスパルタとの長い戦いの勝利を祈り、女神を祀った。1686年、アテネを支配したオスマン帝国は防御施設を築くため神殿を解体し、石材を稜堡に転用した。ギリシア独立後の1834年以降、解体された部材を組み直す復元(アナスティローシス)が繰り返され、20世紀から21世紀初頭にも大規模な再構築が行われている。
建築的特徴
前後の両面に柱廊を構える両前柱式をとり、正面・背面それぞれに四本のイオニア式円柱を立てる四柱式の小規模な構成である。渦巻の柱頭と細身の比例、軽快なエンタブラチュアが、ドーリア式の重厚な周囲の建築と対照をなす。稜堡の外壁を巡る欄干には、勝利を祝い犠牲を捧げるニケたちを浮彫にしたフリーズが連なり、「ニケの欄干」と呼ばれた。なかでも片膝をついてサンダルを直すニケの像は、衣の襞の表現で名高い。
意義・現在
小さな神殿ながら、アクロポリスにおけるイオニア式の本格的な導入例として建築史上の意味は大きい。装飾と比例の洗練は、同じ丘に立つドーリア式のパルテノンと好対照をなす。アテナイの軍事的野心と都市の自負を造形に託した記念碑でもあった。度重なる解体と復元を経て、現在も稜堡の上に立ち、アクロポリスを訪れる者を入口で迎えている。