EST. 2026 — Editorial Archive of Notable Architecture
ケルソネソス
© Alex Kozlov / CC BY-SA 3.0
FIG. 01 — Q638445
様式 · ローマ建築 時代 · 古代 類型 · その他 ★ ユネスコ世界遺産「ケルソネソス・タウリケの古代都市とその農業領域」(2013年登録・基準 ii, v)

ケルソネソス Chersonesus

Χερσόνησος

クリミア半島南西、現セヴァストポリ郊外に残る古代ギリシア植民市の遺跡。前5世紀にヘラクレイア・ポンティケの入植者が築き、ローマ・ビザンティンの支配下で14世紀末まで存続した、黒海北岸を代表する都市遺跡である。

FIG. 02 — Location44.6113° N 33.4925° E
ウクライナ セヴァストポリ セヴァストポリ
§1 — 概要

概要

ケルソネソス(Chersonesos/中世ギリシア語ではケルソン)は、クリミア半島南西部、現在のセヴァストポリ市街の外れに残る古代ギリシア植民市の遺跡である。ギリシア語で「半島」を意味する市名は、そのまま立地を指している。前5世紀の建設から14世紀末の放棄まで、およそ1800年にわたって存続し、ギリシア・ローマ・ビザンティンの各層が重なって残る点で黒海北岸を代表する都市遺跡となっている。市域と、市壁の外に広がる耕地[コーラ]とをあわせて、2013年に世界遺産へ登録された。

歴史

小アジア黒海岸のヘラクレイア・ポンティケから来た入植者が建設した。伝承では前422/421年にヘラクレイアとデロスの人々が共同で送り出したとされ、これに先立って前6世紀にイオニア系の交易拠点が置かれていたことを示す出土もある。前4世紀半ばまでは小さな都市にとどまったが、その後クリミア北西部へ勢力を広げてケルキニティスを併合し、各地に城砦を築いた。古典期には選挙で選ばれたアルコンと評議会による民主政を敷き、前3世紀以降に市民全員が唱えた宣誓文が石に刻まれて現存する。時代が下るにつれて権力はアルコンに集中し、寡頭的な体制へ移っていった。

前110年頃、ボスポロス王国とスキタイ人・タウロイ人の圧迫を受けてポントス王ミトリダテス6世とその将軍ディオファントスの援助を仰ぎ、その代償としてボスポロス王国の宗主権下に入った。前1世紀半ばからはローマの守備隊が置かれ、370年代にフン族に攻略されるまで続く。

中世にはビザンティン帝国領となった。581年には突厥の攻囲に耐えている。帝国の支配は緩やかで、駐留兵は統制よりも防衛のためのものであり、市はかなりの自治を保っていた。北方の諸族を観察する拠点であると同時に、遠隔ゆえの流刑地でもあり、ローマ教皇クレメンス1世・マルティヌス1世、廃位された皇帝ユスティニアノス2世らが送られている。833年、皇帝テオフィロスがペトロナス・カマテロスを派遣して直接統治を敷き、ケルソン軍管区が置かれた。980年代にキエフ・ルーシのウラジーミル1世が占拠したと伝えられ、988年にこの地で受洗したことがルーシのキリスト教化の端緒とされる。ただしこの遠征はギリシア語史料に現れず、1043年の別の事件との混同を指摘する説もある。

13世紀初頭にジェノヴァの影響下に入り、1299年にはジョチ・ウルスのノガイの軍に劫掠された。ビザンティン史料での言及は1396年が最後で、以後まもなく放棄されたとみられる。

建築的特徴

遺構はギリシア・ローマ・ビザンティンの三つの層が重なる。城壁は全長約3.5キロメートル、厚さ3.5〜4メートル、高さ8〜10メートルで、塔は10〜12メートルに達した。囲まれた市域は約30ヘクタールである。内部にはギリシアの神殿とローマ期の円形闘技場が確認され、さらにビザンティン期の教会堂が重なる。

とくに知られるのが、発掘年にちなんで「1935年のバシリカ」と呼ばれるバシリカである。6世紀の建立と考えられ、それ以前の宗教建築の上に建てられている。海を背に列柱が立つ光景は遺跡を代表する図像となり、ウクライナの紙幣にも図案化された。柱の多くは倒壊した部材を用いたアナスティローシスによって立て直されたものである。

市壁の外にはコーラが広がる。数平方キロメートルにわたって方形の区画割りが残り、葡萄の圧搾施設や防御塔の跡が点在する。市街と耕地を一体として運営した古代ポリスの土地利用が、これほどの規模で読み取れる例は少ない。考古学的な所見からは、この耕地で働いたのは奴隷ではなく賃金を受け取る人々であったと推定されている。

墓地の様相もこの都市の性格を示す。墓標は家族単位ではなく個人ごとに立てられ、副葬品も帯や武器などに限られる。ギリシア本土の葬制とは異なる慣習が働いていた。近年の人骨分析では、屈葬と伸展葬という二つの埋葬姿勢が、従来考えられてきたような在地のタウロイ人とギリシア人入植者の別に対応するものではないことも示されている。

意義・現在

14世紀以降まったく人が住まなかったため、ビザンティン期の都市の姿がよく保たれている。発掘は1827年にロシア政府の手で始まり、現在は国立保護区として博物館と考古公園が置かれている。収蔵品は約20万点にのぼり、前3世紀の市民の宣誓文や前2世紀のディオファントス顕彰碑がその中心をなす。

2013年、ユネスコは「ケルソネソス・タウリケの古代都市とその農業領域」として、市域と6か所の耕地の計7地区を世界遺産に登録した。登録基準は、ギリシア人・ローマ人・ビザンティン人のあいだの文化的交流を示す物証であること(ii)と、これらの社会による農地の組織のあり方をよく残していること(v)である。

19世紀末には、ウラジーミル1世の受洗の地を記念する聖ウラジーミル大聖堂(1892年完成、ネオ・ビザンティン様式)が遺跡を見下ろす丘に建てられ、遺跡は宗教的・国民的な記憶の場ともなった。2014年のロシアによるクリミア併合以降、遺跡は事実上ロシアの管理下にあるが、ユネスコはクリミアの遺産をウクライナに属するものとして扱う立場を維持している。都市化の進行と海岸浸食による影響も指摘されている。

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LAST EDIT — 2026.09.03
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