万里の長城 Great Wall of China
中国北辺に東西数千キロにわたって連なる城壁の総称。前7世紀の諸侯国の壁に始まり、秦の統一で連結され、現存の姿は主に明代の磚積みによる。遊牧勢力への防衛線であり、版築と煉瓦の壁が地形に沿って延々と続く。
§1 — 概要概要
万里の長城は、中国の北辺に沿って東西に連なる城壁および関連施設の総称である。単一の壁ではなく、時代ごとに異なる王朝が築いた複数の防御線の集合体であり、その総延長は支線や自然地形を含めて2万キロを超えるとされる。農耕世界と北方の遊牧世界を隔てる境界線として、二千年以上にわたり増改築が繰り返された。現在一般に「長城」として知られる磚(せん、焼成煉瓦)積みの壮麗な姿は、主に明代(14〜17世紀)に築かれたものである。
歴史
長城の起源は、春秋・戦国時代(前8〜前3世紀)に諸侯国が国境に築いた土塁にさかのぼる。前3世紀、秦の始皇帝が中国を統一すると、北方の匈奴に備えて各国の壁を連結・延長し、初めて一貫した防衛線が形づくられた。ただし秦代の壁の多くは版築(土を突き固める工法)による簡素なもので、現在ほとんど残っていない。漢代にも西方へ延伸されたが、その後は王朝の消長とともに補修と放棄が繰り返された。現存する長城の大部分は、北方のモンゴル勢力と対峙した明代の造営による。明は石の基礎の上に磚を積み、望楼や烽火台を組み込んだ堅固な城壁を、首都北京の防衛のため山稜づたいに重点的に築いた。
建築的特徴
明代の長城は、地形を最大限に利用して築かれている。急峻な尾根の上に城壁を走らせ、天然の要害と人工の壁を一体化させた。壁体は外側を磚や切石で固め、内部に土や砕石を詰める構造で、上面は兵士が移動できる通路となり、外縁には狭間つきの女牆(じょしょう、胸壁)を備える。一定間隔には敵楼(てきろう)と呼ばれる望楼が設けられ、駐屯・物見・武器庫を兼ねた。さらに壁線から離れた高所には烽火台が点在し、煙と火で警報を後方へ中継した。長城は「壁」であると同時に、監視と通信のネットワークとして機能した点に特質がある。
意義・現在
万里の長城は、国家が動員しうる労働力と資源の規模を物語る、人類史上最大級の建造物である。防衛施設としての実効性には議論もあるが、境界を可視化し、北方への威信を示す象徴としての役割は大きかった。1987年に世界遺産に登録され、八達嶺や金山嶺など整備された区間には多くの観光客が訪れる。一方、人里離れた区間の多くは風化や人為的な破壊にさらされており、その保存が課題となっている。