敦煌郊外、鳴沙山東麓の崖に穿たれた仏教石窟群。366年の開鑿に始まり元代まで千年…
中国・北京の中心に立つ、明・清王朝の皇宮。永楽帝が1406年から築き、1420年に完成した世界最大級の木造建築群で、一般の立ち入りが禁じられたことから「紫禁城」と呼ばれた。中軸線に沿う厳格な左右対称の配置で知られる世界遺産である。
§1 — 概要紫禁城(Forbidden City、中国語: 紫禁城/故宮)は、中国・北京の中心に立つ、明・清王朝の皇宮である。約72ヘクタールの敷地に八千を超える部屋がひしめき、現存する木造の宮殿建築群としては世界最大級を誇る。一般の人々の立ち入りが固く禁じられたことから「紫禁城」の名がある。1987年、ユネスコ世界遺産に登録された。
建設は、明の第三代皇帝・永楽帝による。彼は甥から帝位を奪うと、南京から北京へ都を移し、1406年に新たな宮殿の造営を命じた。設計を主導したのは、名工と謳われた蒯祥である。百万を超える人夫と十万の職人が動員され、南方産の貴重な楠木や、蘇州で焼かれた「金磚」と呼ばれる敷瓦などが運び込まれた。十四年の歳月を経て1420年に完成し、永楽帝はここに移った。
以後、紫禁城は明・清あわせて二十四人の皇帝が住まう、中国の政治・儀礼の中心であり続けた。1644年に明が倒れると、清がこれを受け継ぎ、主要な殿舎の名を「極(至高)」から「和(調和)」へと改めた。たび重なる火災で、多くの建物が建て替えられている。1912年に清朝が倒れ、最後の皇帝・溥儀は1924年に城を去った。翌1925年、紫禁城は故宮博物院として一般に公開された。
紫禁城は、南北を貫く一本の中軸線に沿って、厳格な左右対称に配置されている。建物の向きや並びは、風水と儒教の宇宙観に基づいて定められた。南側の「外朝」には、即位や婚礼などの大典が営まれた最大の建物・太和殿をはじめ、三つの大殿が並ぶ。北側の「内廷」は、皇帝と一族が日々を送る生活の場であった。黄色い瑠璃瓦の屋根、朱塗りの柱と壁、そして軒を支える斗栱(ときょう)が、皇帝の権威を視覚的に体現している。
紫禁城は、中国の伝統的な宮殿建築の到達点であり、東アジアの建築にも大きな影響を与えた。現在は故宮博物院として、明・清の宮廷が伝えた百八十万点を超える文物を収め、年に千数百万人が訪れる。世界でもっともよく保存された皇宮として、いまも北京の中心に横たわっている。