エルサレム旧市街、神殿の丘/ハラム・シェリーフの西側を支える擁壁。前19年頃に…
古代ローマ建築(Ancient Roman architecture)は、おおむね紀元前2世紀から紀元4世紀にかけて、共和政末期から帝政の時代に地中海世界の全域で展開した建築をさす。ギリシアからオーダーを、エトルリアから高い基壇の上に正面性の強い前廊を置く神殿形式を受け継ぎ、そこにアーチ・ヴォールト・ドームとローマン・コンクリートを組み合わせて、それまでにない大きさの内部空間を獲得した点に、この建築の本質がある。前1世紀の技術者ウィトルウィウスは『建築十書』において、建築が備えるべき条件を強固・有用・美と定式化し、後世の建築論の出発点となった。
技術の核はコンクリートである。石灰にポッツォラーナと呼ばれる火山灰を混ぜたモルタルは水中でも硬化し、骨材とともに型枠へ流し込むことで、切石を積む方法では不可能な曲面を築けるようになった。表面は不整形の石や煉瓦で覆い、仕上げに大理石やスタッコを張る。この工法によって、樽型ヴォールトを直交させた交差ヴォールトが浴場や大広間の天井を架け、パンテオンでは直径43メートルの無筋コンクリートのドームが、重量を減らす格間と頂部のオクルスを伴って実現した。一方でオーダーは構造の役目から解かれ、壁面を分節する装飾として扱われる。コロッセオの外周ではトスカナ式・イオニア式・コリント式が下から積み重ねられた。ギリシアの三種にトスカナ式とコンポジット式を加えた五つの柱式は、のちルネサンスに規範として整理されることになる。
生まれた建築類型は用途ごとに多彩である。楕円形のアリーナを観客席が完全に囲む円形闘技場はローマの発明であり、公共浴場、集会所としてのバシリカ、凱旋門、水道橋、橋、灯台、城壁、そして数階建ての集合住宅インスラが、帝国の各地に同じ技術で建てられた。本データベースではパンテオン、コロッセオ、メゾン・カレ、アレーナ・ディ・ヴェローナ、バールベックの神殿群、ポルタ・ニグラ、ヘラクレスの塔、サンタンジェロ橋などがこれにあたる。
帝国の解体後も、その形式が絶えることはなかった。集会所であったバシリカは教会堂の平面へ転じ、ドームとペンデンティヴの技術はビザンティン建築へ受け継がれる。中世西欧で半円アーチを用いた建築は「ローマ風」を意味するロマネスクと呼ばれ、ルネサンスはウィトルウィウスの再読を通じて古代の規範を回復した。新古典主義に至るまで、ローマ建築は西欧が繰り返し立ち返る参照点であり続けている。廃墟から円柱や石材を後代の建物へ転用するスポリアの慣習は、その連続を物理的に示すものである。