EST. 2026 — Editorial Archive of Notable Architecture
ポン・デュ・ガール
© Benh LIEU SONG / CC BY-SA 3.0
FIG. 01 — Q189764
様式 · ローマ建築 時代 · 古代 類型 · インフラ ★ ユネスコ世界遺産「ポン・デュ・ガール(ローマの水道橋)」(1985年登録)

ポン・デュ・ガール Pont du Gard

Pont du Gard

南フランス、ガルドン川に架かるローマ時代の水道橋。ユゼス近郊の泉からニームへ約50キロを導く水道の一部で、モルタルを用いずに組み上げられた三層のアーチは高さ48.8メートルに達する。

FIG. 02 — Location43.9473° N 4.5355° E
フランス オクシタニー地域圏 ヴェール=ポン=デュ=ガール
§1 — 概要

概要

ポン・デュ・ガールは、南フランスのガール県、ヴェール=ポン=デュ=ガールの近くでガルドン川を渡るローマ時代の水道橋である。ローマ植民市ネマウスス(現ニーム)へ水を送る全長約50キロメートルの水道の一部で、三層のアーチを積み上げた高さ48.8メートルは、この種の構築物としては例外的に高い。保存状態のよさから1985年に世界遺産へ登録された。

歴史

建設は長らく、アウグストゥスの女婿アグリッパによる前19年頃の事業と考えられてきた。当時アグリッパはローマとその植民市の水利を統括する按察官の職にあり、同じ年に属州ナルボネンシスを訪れている。しかし近年の調査は別の像を描く。水道の経路がアウグストゥス期の坑道を迂回していること、ニーム側の配水施設から出た貨幣がクラウディウス帝(在位41〜54年)より古くないことから、建設は後40年から60年のあいだで、完成は1世紀半ばとする見方が有力になっている。工期はおよそ15年、動員された労働者は800人から1000人と推定される。

4世紀以降、維持管理が絶えると水路は堆積物と植物の根で詰まり、通水は6世紀頃までに止まったとみられる。壁面には厚さ50センチに達する堆積層が残っている。

石材の一部は他所へ持ち去られたが、橋そのものはよく残った。渡河のための有料橋として使われ続けたためである。13世紀にフランス王がユゼスの領主に通行料の徴収権を与え、その権利は後にユゼス司教へ移った。見返りとして橋を維持する義務が課されている。1620年代、ユグノー側を率いたロアン公アンリが大砲を通すため、第2層のアーチの片側を厚みの3分の1ほど削り取らせた。橋は大きく弱められた。

1703年に地元当局が亀裂を補修し、失われた石を補った。1743年から47年には技師アンリ・ピトーが下層アーチに寄り添う道路橋を新設し、車馬の通行を分離している。19世紀半ば、ローマへの傾倒で知られたナポレオン3世がこの橋に強い関心を示し、建築家シャルル・レネの計画により1855年から58年に大規模な修復が行われた。侵食した石材の交換、橋脚へのコンクリート充填、水路と橋の排水の分離などが施され、階段が設けられて水路の内部を歩けるようになった。

1958年、1998年、2002年の大洪水にも耐えている。1996年からガール県が周辺整備に着手し、2000年に見学者施設が開いて、橋の上と周囲から車と建物が排除された。

建築的特徴

三層構成である。低水時の川面から約49メートル、長さ274メートル。幅は下層で9メートル、上層で3メートルと上へゆくほど薄くなる。各層の主橋脚は上下に揃えられ、上層ほど径間が短くなる。アーチの径間はわずかずつ異なるが、これは各アーチを独立して構築し、地盤の沈下に対する変形の余地を残したためである。

最上層を走るのがスペクス(導水渠)で、断面は高さ約1.8メートル、幅約1.2メートル。水道全体の平均勾配は3000分の1にすぎず、ポン・デュ・ガールの区間に至っては456メートルにつき2.5センチ、およそ1万8000分の1という極端な緩さで設計されている。全体を均一な勾配にすれば橋は実現不能な高さになるため、経路のなかで勾配を配分し、橋の高さを6メートル下げているのである。ニームの配水槽への高低差はわずか17メートル、これを50キロメートルの経路に割り振って一日約4万立方メートルを送った。

橋はモルタルもかすがいもほとんど用いずに築かれている。使用石材は推定約5万トン、体積にして約2万1000立方メートル。1個6トンに達する切石もある。石は下流約700メートルのエステル採石場から切り出された貝殻混じりの石灰岩で、切石として精密に加工され、摩擦と自重だけで固定された。石材には「前面右」「前面左」といった据付位置の指示が刻まれ、大量の部材を捌いた施工管理の跡をとどめている。足場や型枠を支えるために突き出したままの石も各所に残る。

上層がわずかに上流側へ湾曲していることは、かつては水流に抗するための意図的な設計と解されていた。しかし1989年の微地形測量により、日射による石材の伸縮が数百年かけて生んだ変形であることが示された。

意義・現在

ポン・デュ・ガールは、水を運ぶという単一の目的のために積み上げられた構築物である。装飾はなく、外面の仕上げも粗い。にもかかわらず、いや、それゆえにこの橋は、ローマの土木が到達した水準を最も明快に示す遺構となった。橋そのものより、それが属する水道全体の設計——17メートルの落差を50キロメートルに配分し、1万分の1台の勾配を石で実現した——のほうが驚くべきものだと言える。

石工にとってこの橋は早くから巡礼の対象であり、フランス各地を巡歴する職人たちがここに名を刻んだ。18世紀に道路橋が併設されて以降はグランドツアーの立ち寄り先となり、1786年にはルイ16世がユベール・ロベールに南仏のローマ遺跡を描かせ、そのなかにこの橋も含まれている。ナポレオン3世の修復も、アウグストゥスに自らを重ねる意識と無縁ではなかった。ユネスコの登録理由には、この橋を構想した技師と建築家が技術と芸術の両面で傑作を生んだことが挙げられている。

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