エルサレム旧市街、神殿の丘/ハラム・シェリーフの西側を支える擁壁。前19年頃に…
スペイン中部セゴビアの旧市街へ山地の水を引いた古代ローマの水道橋。167のアーチを連ね、最も高い所で約28メートルに達する。モルタルを用いず花崗岩の切石を積んだ構造で、1970年代まで町に水を送り続けた。
§1 — 概要セゴビアの水道橋(Acueducto de Segovia)は、スペイン中部カスティーリャ・イ・レオン州の古都セゴビアに、古代ローマ時代に築かれた水道の橋梁部である。約17キロメートル離れたグアダラマ山脈の水源から旧市街まで水を導く水道のうち、市街に入る区間が高いアーケードとなって地上に残る。アーチは合わせて167を数え、最も高いアソゲホ広場では基礎を含めて約28メートルに達する。花崗岩の切石をモルタルなしで積み上げた構造は、ローマの水道橋のなかでも屈指の保存状態を誇り、市の紋章にも描かれる町の象徴となっている。1985年、旧市街とともにユネスコの世界遺産に登録された。
建設年代を記した銘板は失われ、長く1世紀の建造と考えられてきた。20世紀末、碑文学者ゲーザ・アルフェルディは青銅の文字を留めた穴の配列から献辞を復元し、ドミティアヌス帝が建設を命じ、98年ごろに完成したと推定した。しかし2016年、1998年の発掘で橋脚の基礎の掘り方から出土した土器と、112〜116年に鋳造されたトラヤヌス帝のセステルティウス貨が再検討され、着工はそれ以降、トラヤヌス帝の治世末からハドリアヌス帝の時代とする見方が有力になった。
11世紀にはイスラーム勢力の攻撃で一部が壊されたと伝えられ、傷んだ区間は長く木製の樋などで補われていた。1483年、カトリック両王の命により近くのパラル修道院の院長ペドロ・デ・メサが状態を調べ、1484年から89年にかけて36のアーチが積み直された。工事は原形を尊重して進められたが、一部のアーチには輪郭がわずかに尖る跡が残る。中央の壁龕には町の創建伝説にちなむヘラクレス像があったとされ、のちに聖母像が置かれた。
水道は近代に入っても町に水を送り続け、1973年まで使われた。1884年には国の記念物に指定されている。20世紀後半には車両の振動や大気汚染による石材の劣化が深刻となり、1992年まで続いたアーチ下の車の通行が止められたうえで、修復が進められた。
水は山中の取水口から開渠で運ばれ、「エル・カセロン」と呼ばれる貯水槽と、砂を沈殿させる「カサ・デ・アグアス」を経て、緩い勾配で市街へ向かう。旧市街は周囲より一段高い岩の台地の上にあるため、水路は窪地を跨いで高さを保たねばならない。これを担うのが橋梁部で、一段のアーチが75続いたのち方向を変え、アソゲホ広場の窪地を44組の二段アーチ(88のアーチ)が越え、さらに4つの一段アーチが続く。上段の橋脚は下段より細く低く、橋脚の断面は基部の約2.4×3メートルから頂部の約1.8×2.5メートルへと段階的に絞られる。最上部を走る導水渠はU字形の断面をもち、市内に入った水は配水槽から地下の水路で分配された。
構造上の最大の特徴は、切石をモルタルなどで接着せず、石の重さと加工の精度だけで組み上げた乾式石積みにある。各アーチは楔形の迫石が互いに押し合うことで荷重を橋脚へ流し、装飾は段を区切る簡素な蛇腹程度にとどまる。最も高い三つのアーチの上には、かつて青銅の文字で献辞を記した銘板が掲げられていた。
セゴビアの水道橋は、ローマの土木技術の到達点を示す遺構であると同時に、1800年以上にわたって実際に水を運び続けた都市施設でもあった。水道橋が遺跡としてではなく町の日常のなかで生き延び、その足もとに広場と市街が育ったことに、この構造物の特異さがある。現在はアソゲホ広場一帯が歩行者空間として整えられ、旧王立造幣局の建物には水道の解説施設が設けられている。