エルサレム旧市街、神殿の丘/ハラム・シェリーフの西側を支える擁壁。前19年頃に…
ローマ、テヴェレ川右岸に建つ円筒形の城塞。2世紀にローマ皇帝ハドリアヌスの霊廟として築かれ、のちに要塞・牢獄・教皇の避難城となり、現在は国立博物館。サンタンジェロ橋とともにローマを代表する景観をなす。
§1 — 概要サンタンジェロ城は、イタリアの首都ローマ、テヴェレ川の右岸に建つ円筒形の城塞である。方形の基壇の上に巨大な円筒形の構造体(ロタンダ)を載せた、特徴的な姿をもつ。2世紀にローマ皇帝ハドリアヌスの霊廟として築かれ、のちに要塞・牢獄・教皇の避難城として用いられ、現在は国立サンタンジェロ城博物館となっている。
建設は134年頃に始まり、ハドリアヌスの死の翌年にあたる139年、その後継者アントニヌス・ピウスの治世下で完成した。当初はハドリアヌスとその後の皇帝たちの遺骨を納める霊廟(モーレ・アドリアーナ)であり、納骨はカラカラ帝の代まで続いた。ハドリアヌスは城へ至るためにテヴェレ川にアエリウス橋(現在のサンタンジェロ橋)を架けている。5世紀にはアウレリアヌス城壁の一部として要塞化された。590年、教皇グレゴリウス1世が疫病終息の際に剣を鞘へ納める大天使ミカエルの幻視を得たという伝承から、「聖天使(サンタンジェロ)」の名が生まれたとされる。中世にはヴァチカンと城を結ぶ通路「パッセット・ディ・ボルゴ」が整備され、1527年のローマ略奪の際には教皇クレメンス7世がこの城へ避難した。
円筒形のローマ皇帝霊廟の形式は、永遠と権力を象徴するものであった。当初の頂部には庭園が設けられ、金箔を施した四頭立ての馬車(クアドリガ)の像が据えられていたと伝わる。設計者は確実には伝わっておらず、ハドリアヌス帝自身が建築に深く関与したとされるほか、伝承では「デメトリアーノ」の名が挙げられることもあるが、いずれも確証はない。内部には古代の螺旋状の傾斜路が今も残る。後世には歴代教皇の礼拝堂や居室が加えられ、ルネサンス期の装飾が施された。頂部に立つ大天使ミカエルのブロンズ像は、18世紀のフランドルの彫刻家フェルシャフェルトの作である。
霊廟・要塞・牢獄・教皇の城・博物館と、約1900年にわたって用途を変えながら存続してきたこの建造物は、ローマの重層的な歴史そのものを体現している。プッチーニの歌劇『トスカ』終幕の舞台としても知られ、現在はコロッセオに次いでローマでもっとも多くの来訪者を集める史跡の一つとなっている。