エルサレム旧市街、神殿の丘/ハラム・シェリーフの西側を支える擁壁。前19年頃に…
レバノン東部、ベッカー高原に残るローマ帝政期の神殿群。帝国東方で最大級の聖域であり、ユピテル神殿の巨大な列柱と、屈指の残存状態を保つバッカス神殿で知られる。1984年に世界遺産に登録された。
§1 — 概要バールベックの神殿群は、レバノン東部のベッカー高原、標高約1,150メートルの地に残るローマ帝政期の聖域である。ユピテル、バッカス、ウェヌスに捧げられたとされる三つの神殿が並び、ローマ世界でも最大級の規模をもつ。直径2メートル余りのコリント式円柱と、数百トンに達する基壇の巨石が、この遺跡を古代建築のなかでも異例の存在にしている。1984年、ユネスコ世界遺産に登録された。
この地はもともとフェニキアの神バアルを祀る聖地であったと考えられ、地名もそれに由来するとされる。ヘレニズム期にはヘリオポリス(太陽の都)と呼ばれ、前1世紀にローマの植民市コロニア・ユリア・アウグスタ・フェリクス・ヘリオポリタナが置かれた。ユピテル神殿の造営は植民市の成立まもなく始まったとみられ、1世紀半ばにはおおむね形を整えている。以後もネロが祭壇塔を、トラヤヌスがアスワン産の花崗岩を用いた前庭を加えるなど工事は三世紀にわたって続き、ついに完結しなかった。キリスト教が国教となって以降は破壊と転用が進み、ユピテル神殿の円柱の一部はコンスタンティノープルへ運ばれたと伝えられる。7世紀にアラブ勢力の支配下に入ると、聖域は城壁で囲われ要塞に転じた。1759年の地震で建物はさらに損壊し、1898年から1903年にかけてドイツの調査隊が本格的な発掘と復原に着手して、現在の姿が明らかにされた。
聖域はプロピュライア(前門)、六角形の前庭、大祭壇を置く広大な中庭、そして西端のユピテル神殿という一本の軸線上に構成される。ユピテル神殿は基礎の上にさらに約7メートルの壇を築き、周囲を54本の円柱が囲んでいた。柱の高さは約19.9メートルで、古典建築の円柱としては最も高い部類に入る。今日立っているのは6本のみだが、この列柱が遺跡の象徴となっている。壇の擁壁には「トリリトン」と呼ばれる三つの巨石が積まれ、一つあたり約800トンと推定される。800メートルほど離れた石切場には、切り出されたまま横たわる1,000トン級の石が残り、どのように運搬・据付が行われたかは今も定まっていない。南に建つバッカス神殿は長さ約66メートル、幅約35メートルで、42本のコリント式円柱の列柱廊に囲まれる。屋根は失われたが周壁と19本の柱が立ち、内陣には二層の壁龕を挟むピラスターが並ぶ。雄牛と獅子を交互に配したフリーズなど、古代から伝わるもっとも精緻な浮彫の一群がここにある。
バールベックは、ローマ建築が帝国の東の縁でどこまで巨大化しえたかを示す実例であり、同時に在地の信仰とローマの神々が習合した聖域でもあった。ユピテル神殿が徹底して破壊されたのに対し、バッカス神殿は瓦礫に埋もれたことがかえって保護となり、ローマ神殿としては屈指の残存状態を保っている。1984年に世界遺産へ登録されたが、内戦下では保護が途絶え、戦後の1990年代に修復が再開された。夏季には遺跡を舞台にバールベック国際フェスティバルが催され、遺構は現在も地域の文化的な中心であり続けている。