中国北辺に東西数千キロにわたって連なる城壁の総称。前7世紀の諸侯国の壁に始まり…
イラク南部、古代都市ウルに残る現存最良のジッグラト(聖塔)。前21世紀、ウル第3王朝のウル・ナンム王が月神ナンナに捧げて着工し、息子シュルギが完成させた、日干し煉瓦による階段状の神殿基壇である。
§1 — 概要ウルのジッグラトは、イラク南部ジーカール県、ナーシリーヤ近郊の古代都市ウルに残るジッグラト(聖塔)である。前21世紀、メソポタミア南部を統べたウル第3王朝の祖ウル・ナンム王が、ウルの守護神である月神ナンナ(シン)に捧げて着工した。日干し煉瓦を積み上げた階段状の基壇で、その上に神殿を戴く形式は、文字や都市と並ぶシュメール文明の達成の一つである。古名を「エ・テメン・ニグル(基礎が畏怖を生む家)」という。
建造はウル・ナンムの代に始まり、息子シュルギ王の治世(前21世紀)に完成した。シュルギは自らを神と称してメソポタミア各都市の帰順を促し、その治世にウルは広域を支配する王朝の首都へと成長する。やがて王朝が衰えるとジッグラトも荒廃し、前6世紀には廃墟と化していた。新バビロニア最後の王ナボニドゥスがこれを修復し、三層であった基壇を七層に積み増したと伝わるが、その上層もまた時とともに崩れた。1920年代、レナード・ウーリー率いる発掘隊が遺構を本格的に掘り起こし、最下層がウル・ナンム期の原構造、その上が新バビロニア期の修復であることが確かめられている。1980年代にはサダム・フセイン政権が前面と正面階段を現代の煉瓦で覆って部分的に復元したが、1991年の湾岸戦争で銃撃や爆撃の被害を受けた。
基壇は底面およそ64×45メートル、高さは30メートルを超えたと推定される(上部が失われているため正確な高さは分からない)。構造は、内部を日干し煉瓦の充実体とし、外周を瀝青(ビチューメン)で固めた焼成煉瓦で覆うという二重の仕立てになっている。瀝青は煉瓦の隙間を埋めて防水の役を果たし、脆い日干し煉瓦の塊を数千年にわたって支えてきた。正面には三つの階段が収斂し、テラスを経て頂部の神殿へと至る。頂上の神殿は青い施釉煉瓦で飾られていたと考えられるが、現存しない。石造であったエジプトのピラミッドに対し、ジッグラトが一貫して土の建築であった点に、両大河の沖積平野という風土が表れている。
ウルのジッグラトは、メソポタミア最古級の記念碑的建築であり、神殿であると同時に都市の行政・経済の中心でもあった。文字を生んだ社会が、信仰と統治を一つの巨大な土の構築物に結晶させた姿をいまに伝える。エジプトの石造ピラミッドに先立つこの形式は、のちの高層建築の祖型とも語られる。イラクに残るジッグラトの中で最も保存がよく、2016年には周辺の遺跡・湿原とともに「南イラクのアフワール」としてユネスコ世界遺産に登録された。