イラク南部、古代都市ウルに残る現存最良のジッグラト(聖塔)。前21世紀、ウル第3…
古代都市バビロンの内城壁に設けられた北の門。前6世紀、新バビロニアのネブカドネザル2世が築き、青い施釉煉瓦の壁面に竜と野牛の浮彫を並べた。発掘された煉瓦で前門がベルリンのペルガモン博物館に復元されている。
§1 — 概要イシュタル門は、メソポタミアの古代都市バビロン(現イラク、バービル県ヒッラ近郊)の内城壁に設けられた門である。新バビロニアのネブカドネザル2世(在位前605〜前562)が築き、女神イシュタルに捧げた。都市の北側から王宮と神殿域へ向かう「行列道路」の入口にあたり、青い施釉煉瓦で覆われた壁面に、神々を象徴する動物の浮彫が並ぶ。設計者の名は伝わらない。発掘された煉瓦を用いて、門のうち小さい方の前門がベルリンのペルガモン博物館に復元されている。
門の造営は前6世紀前半、前575年ごろとされる。ネブカドネザル2世の奉献銘によれば、道路の盛土によって低くなった旧来の門を取り壊し、地下水の高さに瀝青と煉瓦で基礎を据えて建て直したという。発掘の結果、門は少なくとも3段階を経て造り替えられたことが分かっている。初期の段階では釉をかけない浮彫煉瓦が使われ、道路のかさ上げが進むたびに上へ積み増された。施釉と浮彫を組み合わせた現在の装飾は、最終段階で完成した。銘文は、屋根と扉に杉材を用い、扉を青銅で飾ったとも記している。
1899年、ドイツの建築家・考古学者ロベルト・コルデヴァイがバビロンの本格的な発掘を始め、1902年に門の遺構を掘り出した。発掘は第一次世界大戦で中断されるまで続き、地下約14メートルに及ぶ基礎も明らかになった。煉瓦の破片は数百箱に詰めてベルリンへ送られ、塩分を抜く処理を経て仕分けられた。新たに焼いた補填用の煉瓦も交えて、門と行列道路の一部が博物館内に組み上げられ、1930年に公開された。後方の大きな主門は展示空間に収まらず、復元されていない。
1987年には、フセイン政権下のイラクで、原寸より小さい再現門がバビロン遺跡に建てられた。イラク政府は2002年と2009年にドイツへ門の返還を求めている。
門は、手前の小さな門と奥の大きな門を組み合わせた二重門で、両脇に塔が張り出していた。発掘者の記録では、前門は両側の塔を含めて幅約28メートル、2つの門を通り抜ける距離は約48メートルに及ぶ。ベルリンの復元は高さ約14メートル、幅約30メートルである。
壁面は青い釉の煉瓦を地とし、その上に金色や褐色の釉で表した動物の浮彫が段ごとに並ぶ。表されるのは、国家神マルドゥクに仕える竜ムシュフシュと、嵐の神アダドの聖獣である野牛(オーロックス)で、縁取りや花形文には白・黒・金色の釉が用いられた。青は、当時珍重された宝石ラピスラズリを思わせる色で、主にコバルトによって発色している。
浮彫の煉瓦は、粘土を型に押し込んで成形し、乾燥と素焼きを経て釉を施し、再び焼成したものである。煉瓦の目地が動物の目などの要所を横切らないよう、割り付けまで計画されていた。煉瓦は細い目地で積まれ、瀝青(天然のアスファルト)で固められた。門から北へ延びる行列道路の壁には、女神イシュタルを象徴する獅子のフリーズが両側に60頭ずつ並び、新年祭には神々の像がこの道と門を通って運ばれた。
イシュタル門は、日干し煉瓦と焼成煉瓦を主材とするメソポタミア建築が、色と浮彫によってどれほど豊かな表現に達したかを示す遺構である。一方で、その主要部が発掘国の外で展示されてきたことから、文化財の返還をめぐる議論でしばしば取り上げられる。原位置のバビロン遺跡は2019年にユネスコ世界遺産に登録された。ペルガモン博物館は2023年10月から改修のため閉館しており、イシュタル門を収める南翼は2037年ごろまで閉鎖が続く見込みである。門と行列道路の煉瓦パネルの一部は、イスタンブール考古学博物館、ルーヴル美術館、メトロポリタン美術館など各地の博物館にも分蔵されている。