EST. 2026 — Editorial Archive of Notable Architecture
イマーム・アリー・モスク
© U.S. Navy / Photographer's Mate 1st Class Arlo K. Abrahamson / Public domain
FIG. 01 — Q838359

イマーム・アリー・モスク Imam Ali Mosque

حرم الإمام علي

イラク中部ナジャフにある、第4代正統カリフでシーア派初代イマームのアリーの廟。8世紀以来再建を重ね、現在の建物は17世紀前半のサファヴィー朝による造営で、18世紀に金張りとなったドームと2本のミナレットを戴く。

FIG. 02 — Location31.9961° N 44.3142° E
イラク ナジャフ県 ナジャフ
§1 — 概要

概要

イマーム・アリー・モスク(Imam Ali Shrine / حرم الإمام علي)は、預言者ムハンマドの従弟で娘婿にあたり、第4代正統カリフ、シーア派では初代イマームとされるアリー・イブン・アビー・ターリブ(661年没)の墓廟である。墓室を中心にモスクや中庭、門を備えた聖廟複合体をなし、アリーのモスクの名でも呼ばれる。シーア派ではメッカ、メディナ、エルサレムの三聖地に次ぐ聖地と位置づけられ、毎年多数の巡礼者を迎える。ナジャフの町そのものが、この墓所を核として形成された。

歴史

アリーはクーファの大モスクで襲撃されて没し、墓が暴かれることを恐れて郊外にひそかに葬られた。場所が公に知られるのはアッバース朝のハールーン・アッラシードの時代で、786年ごろに彼が墓の上に最初の建物を設けたと伝えられる。その後もたびたび建て替えられ、ブワイフ朝のアドゥド・アッダウラは979〜980年ごろ、新たなドームと墓上の棺形の覆いを備えた大規模な廟を整えた。彼はナジャフの町の整備にも力を注ぎ、自身もこの廟域に葬られている。1354年には火災で内装や宝物の多くを失ったが、建物は修復された。

現在の建物はサファヴィー朝期のものである。シャー・アッバース1世が1623年ごろ再建に着手し、工事は孫のシャー・サフィーの治世、1630年代初めに完了した。設計は学者シャイフ・バハーイーに帰せられるが、彼は再建開始の前に没しており、関与の実態ははっきりしない。1743年にはアフシャール朝のナーディル・シャーが、緑のタイル張りだったドームと2本のミナレットを金張りの銅板で覆わせ、正面のイーワーンも改修した。ガージャール朝の君主たちも、銀製の墓柵の寄進や修理を続けた。

20世紀には1942年に現在の墓柵が据えられた。1991年の蜂起の際には政府軍の攻撃で墓柵と棺が損傷し、その痕はいまも残る。2003年8月には門前で自動車爆弾が爆発し、指導的聖職者ムハンマド・バーキル・ハキームを含む約95人が死亡した。近年は巡礼者の増加に応じた拡張が続く一方、2005年に西側のラアス・モスクが取り壊されて現代工法で建て替えられたことには、歴史的建造物の保存の観点から批判がある。

建築的特徴

複合体の中心は方形の墓室で、その上に二重殻ドームが架かる。内殻は墓室の内側から仰ぐ半球形の天井、外殻は中庭や市街から望まれる膨らんだ輪郭のドームで、両者のあいだに空隙をとる。内殻を覆うタイルのモザイクはサファヴィー朝の造営時のものが残るとされる。墓室とそれを囲む回廊の壁面は、小さな鏡片を貼り詰めた鏡張りで覆われるが、鏡の多くは後世に張り替えられている。

墓室の正面には金色の大イーワーンが開き、その左右に2本のミナレットが立つ。ドーム、イーワーン、ミナレットの外装は金張りの銅板で、当初はサファヴィー朝らしい青と緑のタイルであった。イーワーンにはペルシア語、アラビア語、アゼルバイジャン語でアリーを讃える詩と、ナーディル・シャーによる金装を記す銘文がめぐる。墓そのものは木製の棺を金銀のザリーフが囲み、巡礼者はこの柵越しに祈りを捧げる。

墓室の北・東・南を広い中庭(サハン)が囲み、その周囲を二層の尖頭アーチの列廊が縁取る。列廊の小室はかつて神学生の寄宿に使われ、現在は多くが事務室となっている。中庭へは東・北・南の三つの大門から入り、東の門は1887年にマンチェスターから運ばれた時計を収める時計塔を戴く。墓室の側壁を飾るタイル装飾の多くは18〜19世紀のもので、イラクのシーア派聖廟のなかでは古いタイルが比較的よく残る例とされる。

意義・現在

イマーム・アリー廟は、イランの王朝がイラクのシーア派聖地へ注いだ建築的な投資を具体的に伝える作例である。墓室とドーム、イーワーンと一対のミナレット、列廊に囲まれた中庭という構成はイランの聖廟建築の定型に沿う。サファヴィー朝が据えたこの骨格に、アフシャール朝の金装やガージャール朝の寄進が重ねられて現在の姿ができあがった。いまもナジャフの信仰と学問の中心であり、巡礼者を受け入れるための拡張と改修が続いている。

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データ: Wikidata (Q838359) / 解説: Wikipedia English / 画像: © U.S. Navy / Photographer's Mate 1st Class Arlo K. Abrahamson / Public domain — Wikimedia Commons
LAST EDIT — 2026.10.02
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