建築様式史 — CHAPTER 06
東アジアの木造体系
East Asian Timber西欧が石を高く積み上げていたころ、海の東では、まったく異なる原理の建築が数千年を生き継いでいた。木を組み、屋根を架け、朽ちれば建て替える——東アジアの木造建築は、永遠を石に託す西方とは逆に、更新のなかに永続を見出す。本章もまた地理のまとまりとして、中国に発し日本で花開いた、その水平の体系をたどる。
木造軸組と斗栱
東アジアの建築は、石ではなく木を主役とする。柱を立て、梁を渡して骨組みをつくる軸組構法が、その基本である。壁は荷重を負わず、空間を仕切る建具にすぎない。この体系の精髄が、柱の上に積み重ねる組物——斗栱である。方形の斗(ます)と弓形の栱(ひじき)を交互に組み上げ、軒を前方へ大きく持ち出して深い庇を支える。中国で完成したこの仕組みは、屋根の巨大な重みを柱へと巧みに集約し、同時に軒下に律動的な陰影を刻む装飾ともなった。中国では宋代に『営造法式』という詳細な建築マニュアルが編まれ、部材の寸法や組み方が体系化される。斗栱は時代とともに簡略化と意匠化を重ね、深く反る屋根と大きな軒の出を生む要となった。木造ゆえに地震の揺れを受け流す柔軟さをもち、規格化された部材は各地で同じ手順で組み立てられる。建物の規模は柱と柱の間(けん)の数で測られ、間を単位とする寸法体系が、設計から施工までを一貫して支えた。この木造の体系は、朝鮮半島を経て日本へと伝わり、宮殿・寺院・住宅へ広く根を下ろした。屋根は水平に大きく広がり、建築は天へ伸びるよりも大地に水平に展開する。垂直と上昇を求めた西欧の石造とは、まさに対極の論理である。
日本への伝来と展開
6世紀、仏教とともに大陸の木造技術が日本へ伝わった。奈良の法隆寺は、その最初期の到達点である。西院伽藍の金堂と五重塔は、現存する世界最古級の木造建築とされ、飛鳥時代の大陸様式を今に伝える。これらの技術は、百済からの渡来工人によってもたらされたと伝えられる。雲のかたちに彫った組物(雲斗・雲肘木)や、胴のふくらんだ柱に、古代の面影が残る。五重塔の中心には、礎石から相輪まで一本の心柱が立ち、塔全体を貫いて揺れを吸収する。この制振の知恵は、現代の超高層建築にも応用が論じられているほどである。8世紀には、聖武天皇が国家の総力を挙げて東大寺を建て、巨大な金銅の大仏を納める大仏殿を築いた。同寺は二度焼失するが、鎌倉時代の再建では、宋から学んだ豪壮な構造法——大仏様が用いられ、太い貫を柱に何段も差し通して巨大な屋根を支えた。大仏殿は再建をへてなお、世界最大級の木造建築として知られる。同じころ伝わった繊細な禅宗様とともに、在来の和様に新たな選択肢が加わり、三様式は競い、また折衷しながら、日本の寺社建築を豊かにしていった。
数寄と書院
寺社で磨かれた木造の技は、やがて住宅建築へと向かう。室町から桃山にかけて成立した書院造は、床の間・違い棚・付書院を備え、畳を敷き詰めた格式ある接客の空間として、武家住宅の規範となった。そこからさらに、茶の湯の精神を映した数寄屋が洗練されていく。装飾を削ぎ、磨かない木や土壁の素地を生かし、左右非対称の自在な構成をとるその美学は、簡素のうちに豊かさを見出すものであった。茶人千利休が完成させた草庵の茶室は、わずか二畳ほどの極小空間に、にじり口や下地窓を備え、簡素と緊張のうちに精神を研ぎ澄ます場であった。17世紀、京都に営まれた桂離宮は、その結晶である。雁行に連なる書院群と回遊式庭園が一体となり、室内から切り取られる庭の景が、歩むにつれて移ろう。庭の遠い山並みを室内の眺めに借りる借景の手法は、限られた敷地に無限の奥行きを与えた。池に張り出した月見台は、月を愛でるためにしつらえられた。柱や建具がつくる水平・垂直の繊細な格子は、のちにブルーノ・タウトをはじめ、近代建築家たちをも深く魅了し、モダニズムの感性と響き合う美として再発見された。
再建の思想
東アジアの木造建築を貫くのは、石とはまったく異なる時間の観念である。木は朽ち、火に弱い。それゆえこの伝統では、建物が失われることは終わりではなく、建て替えと修復が建築の営みにあらかじめ織り込まれている。これを支えたのは、社寺の造営を代々受け継ぐ宮大工の技と、釘を用いずに木を組む継手・仕口の知恵であった。建物は部材ごとに解体・修理・再建ができ、古材は新たな建物へと転用される。伊勢神宮では、20年ごとに社殿を新たに建て替える式年遷宮が、千年以上にわたって繰り返されてきた。そこでは、最も古い物そのものではなく、技と形を絶えず更新しながら受け継ぐことにこそ、永続が宿る。物質としての石の不変ではなく、かたちと技の継承による永遠——西方の「石の永遠」に対するこの「木の更新」は、現代の文化財保存や持続可能性の議論にも、静かな示唆を投げかけている。もっとも、法隆寺のように、丁寧な修理を重ねて1300年以上を生き延びた建築も現にある。更新と保存は対立するのではなく、木の建築のなかで長く両立してきたのである。さて、再び海を越えよう。次章では、ユーラシアと隔絶して独自の文明を築いた新大陸——その記念碑の建築へと向かう。