建築様式史 — CHAPTER 07
新大陸の建築
Architecture of the Americas東アジアの木造体系を後にして、視点をはるか海の彼方——アメリカ大陸へ移そう。ユーラシアの諸文明とほとんど接触のないまま、ここでは独自の記念碑文明が花開いた。鉄も車輪も真のアーチも持たずに、人々は天をつく階段ピラミッドと、寸分の狂いもない石組みを築き上げる。本章もまた地理のまとまりとして、新大陸の建築をたどる。
中央メキシコの都市と基壇
紀元前後、メキシコ中央高原に巨大な計画都市が出現した。テオティワカンである。最盛期には十数万の人口を擁したとされるこの都市は、「死者の大通り」と呼ばれる長大な軸線を背骨とし、その両脇に「太陽のピラミッド」「月のピラミッド」がそびえる。神殿を頂に戴く階段ピラミッドは、エジプトのそれが王の墓であったのとは異なり、祭祀の舞台となる人工の聖山であった。太陽のピラミッドは高さ約65メートルに達し、その真下には、地母神の胎内を思わせる洞窟が穿たれていた。基壇の側面は、傾いた斜面(タルー)と垂直の壁板(タブレロ)を交互に積むタルー=タブレロの手法で構成され、深い陰影を刻む。羽毛の蛇神を彫り出した「ケツァルコアトルの神殿」など、彫刻と建築は分かちがたい。碁盤目状の街区、天体の運行に合わせた都市軸——テオティワカンは、のちのメソアメリカ諸都市の手本となった。黒曜石の交易を握ったこの都市の影響は、遠くマヤ地域にまで及んだ。だが6世紀ごろ、都市は焼かれて放棄され、後のアステカは廃墟となったこの地を、神々が生まれた聖地として畏敬した。だが、その建設者が何者で、何語を話したのかは、今なお謎に包まれている。
マヤの石と天文
ユカタン半島とその周辺の密林には、マヤ文明の都市が点在した。グアテマラのティカルでは、急峻な階段ピラミッドが密林の樹冠を突き抜けてそびえ、神殿が天に最も近い場所に置かれた。頂の神殿の背後には、神々や王の威光を示す「屋根飾り(クレステリア)」が空高く立ち上がる。マヤもまた真のアーチを知らず、石を少しずつせり出して架けるコーベルアーチで、細長く暗い内部をつくった。彼らの真骨頂は、建築と天文・暦の精緻な結びつきにある。広場には王の事績と日付を刻んだ石碑(ステラ)が林立し、緻密な象形文字が歴史を記録した。チチェン・イッツァの「エル・カスティーヨ」は、四面の階段の段数を合計すると一年の日数に符合し、春分と秋分の日には、斜面に羽毛の蛇神ククルカンの影が現れて、階段を這い降りるように見える。建築そのものが、暦であり天文台でもあった。チチェン・イッツァには、丸い塔をもつ天文台「エル・カラコル」も残り、金星の観測に用いられたと考えられている。なお、南部低地のマヤ諸都市は9世紀以降あいついで放棄され、その理由は今も議論が続いている。
アステカの中心
13世紀以降、メキシコ中央に覇を唱えたのがアステカである。彼らは湖上の島に都テノチティトランを築いた。堤道と運河が縦横に走るこの水の都を、のちに訪れたスペイン人は「新大陸のヴェネツィア」と驚嘆をもって書き残している。都の中心には、大神殿テンプロ・マヨールが据えられた。雨の神トラロックと戦争の神ウィツィロポチトリを祀る二つの神殿を頂に並べた、二重の階段ピラミッドである。アステカは、先行する文明の様式を受け継ぎつつ、王の代替わりごとに神殿を覆って大きく建て増していった。1521年、スペインの征服者たちはこの神殿を破壊し、その石材でカトリックの大聖堂を築く。テンプロ・マヨールは長く地下に眠ったが、1978年、電気工事の作業員が巨大な月の女神の円盤石を掘り当てたことを機に発掘が進み、ふたたび姿を現した。征服と上書きの歴史を、そのまま物語る遺構である。
アンデスの石組み
舞台を南アメリカのアンデスへ移すと、まったく異なる石の伝統が立ち現れる。15世紀に急速に拡大したインカ帝国は、鉄器も車輪も持たないまま、世界でも比類ない精度の石組みを完成させた。モルタルを使わず、巨大な石材を、隣り合う面が紙一枚通さぬほど精密に噛み合わせて積む乾式石積みである。この柔軟な石壁は、地震の揺れを受け流し、数百年を生き延びた。標高約2400メートルの尾根に築かれたマチュ・ピチュは、その思想の結晶である。皇帝パチャクテクの離宮として営まれたと考えられ、神殿や居住区、そして山肌を覆う段々畑が、地形と一体に配された。露頭した岩を削り出した日時計「インティワタナ」は、太陽を「つなぎとめる石」として、聖と天文の中心をなす。山の地形に逆らわず、岩盤と一体に石を組み、斜面に水路を巡らせるその造営は、自然と建築をひとつに融合させた。首都クスコは聖なる動物ピューマの姿をかたどって設計されたと伝えられ、帝国は四万キロにも及ぶ道路網で結ばれて、その要所には同じ規格の石造施設が築かれた。スペイン人はついにこの地を見つけられず、マチュ・ピチュは20世紀まで密林に眠り続けた。地中海の建築が空間を内へ彫り込み、東アジアが木で更新を重ねたのに対し、新大陸の人々は、大地そのものに天と神の秩序を刻もうとしたのである。さて、次章では、もう一つユーラシアの外で独自の記念碑を育てた地——サブサハラ・アフリカへと向かう。