EST. 2026 — Editorial Archive of Notable Architecture

建築様式史 — CHAPTER 08

アフリカの建築

Architecture of Sub-Saharan Africa

新大陸を後にして、視点をもう一つの空白域——サハラ以南のアフリカへ向けよう。エジプトの石の文明は第1章で見たが、その南には、まったく別系統の記念碑が育っていた。一枚岩を削り出した石柱、大地から掘り下げた教会、モルタルなしの石の都市、そして土でそびえるモスク。石・岩・土という素材そのものから立ち上がる、アフリカの建築をたどる。

アクスムと石柱

アフリカの角、現在のエチオピア北部に、紀元前後から栄えた交易国家アクスムがあった。紅海を介して地中海世界とインド洋を結んだこの王国は、独自のゲエズ文字と貨幣をもち、4世紀にはキリスト教を国教とした、古代アフリカの一大文明である。アクスムを象徴するのが、一枚岩を削り出した巨大な石柱(ステレ)の群である。最大級のものは高さ30メートルを超え、表面には扉や窓、梁の木口までを彫り込んで、何層もの塔状建築を表していた。これらは王の墓標として立てられた記念碑であると同時に、当時のアクスム建築の姿を石に写し取った証言でもある。梁の木口を丸く突き出させる「猿の頭」と呼ばれる意匠や、石と木を交互に積む構法は、のちの教会建築にも受け継がれた。3世紀のある記録は、アクスムをローマ・ペルシア・中国と並ぶ世界の四大強国に数えている。アクスムは、聖櫃(契約の箱)を納めるとされる聖地として、今もエチオピア正教の精神的中心であり続けている。20世紀、石柱の一本は戦時下のイタリアによってローマへ運び去られたが、長い交渉の末に返還され、ふたたび故地に立てられた。

岩を掘る教会

アクスムが受け入れたキリスト教は、その後のエチオピア建築を決定づけた。12世紀から13世紀、ザグウェ朝の王ラリベラのもとで、岩盤そのものを刻んだ11の教会群が築かれる。これらは「建てられた」のではない。職人たちは、まず岩の台地を上から深く掘り下げて建物の輪郭を切り出し、次いで内部をくり抜いて、外も内も一つながりの岩から教会を彫り出した。一体彫成と呼ばれるこの方法は、世界でもほとんど例がない。扉や窓の意匠には古代アクスムの様式が受け継がれ、教会群は二つの集まりに分かれて、その間を流れる水路は「ヨルダン川」と呼ばれ、地上と天上のエルサレムを象徴した。教会どうしは、岩を穿った溝やトンネルで結ばれ、地下の聖なる都市をかたちづくる。十字形の平面をもつ聖ゲオルギオス教会は、地表からは屋根に刻まれた十字だけが見え、近づいてようやく、深い溝の底に整然と立つ教会の全容が現れる。あまりの精緻さに、天使が夜ごと工事を助けたという伝説さえ生まれた。「新たなエルサレム」を地上に刻もうとしたこの聖地は、今も巡礼者の絶えぬ祈りの場である。

石の都市

舞台をアフリカ南部へ移そう。現在のジンバブエに残るグレート・ジンバブエは、11世紀から15世紀にかけて、ショナ人の祖先が築いた石造都市の遺跡である。花崗岩を割って整えた石材を、モルタルを用いずに積み上げた乾式石積みの囲壁が、丘と谷にわたって広がる。なかでも「大囲壁」は、高さ11メートル、長さ250メートルに及ぶ曲線の壁で、その内側には用途の定かでない円錐形の塔がそびえる。丘の上の岩山に築かれた「アクロポリス」と谷の大囲壁とが呼応し、大囲壁の上部には、シェブロン(山形)の文様が長い帯のように刻まれて、単調な石積みに律動を与えている。海岸の港を介したインド洋交易によって、この内陸の都市には金や、遠くアラビアや中国の陶磁器までもがもたらされ、王権の富を支えた。植民地時代には、これほどの石造建築がアフリカ人の手になるはずがないという偏見から、外来者による建設説がくり返し唱えられた。しかし現在では、地元ショナ社会自身の達成であることが、考古学によって確立している。遺跡から出土した石彫の鳥(ジンバブエ・バード)は、今日の国章にも掲げられ、国名「ジンバブエ」も、この「石の家」を意味する言葉に由来する。

土のモニュメンタリティ

最後に、西アフリカのサヘルへ向かう。サハラ砂漠の南縁では、石でも岩でもなく、土——日干し煉瓦(バンコ)が記念碑の素材となった。マリのジェンネの大モスクは、その最高の達成であり、世界最大級の日干し煉瓦建築として知られる。厚い土の壁が上へすぼまりながらそびえ、礼拝の方角を示す壁には三本の塔が立つ。壁面からはヤシの梁が無数に突き出すが、これは装飾であると同時に、毎年の塗り直しの足場でもある。日干し煉瓦は雨に削られるため、町の人々が総出で泥を塗り重ねる祭りによって、建物は更新され続けてきた。薄暗い堂内には無数の太い土の柱が林立して屋根を支え、平らな屋根には換気の穴が並んで、素焼きの蓋で覆われる。林立する小尖塔と規則正しく突き出た梁とが、サヘルの空に独特の輪郭を描き出す。いま見る建物は1907年の再建だが、その起源は13世紀にさかのぼる。北方の交易都市トンブクトゥもまた、ジンガレベル・モスクなどの土の聖堂と、膨大な手写本を蔵する学問の都として栄えた。土がこれほど壮大な記念碑となりうることを、スーダン=サヘル様式は雄弁に語る。さて、非西欧の諸ブロックを一巡したいま、視点を西欧へ戻そう。次章では、人間と古典を再発見するルネサンスへと向かう。