メキシコ・ユカタン半島に栄えたマヤの都市遺跡。中心にそびえる神殿ピラミッド「…
メキシコ中央高原、メキシコシティ北東に広がる古代都市の遺跡。紀元前後に計画都市として築かれ、太陽・月のピラミッドや「死者の大通り」で知られる。築いた民族も本来の名も失われた、当時有数の大都市である。
§1 — 概要テオティワカンは、メキシコ中央高原、メキシコシティの北東約50キロに広がる古代都市の遺跡である。紀元前後から人が集まって計画的な大都市へと成長し、最盛期には十数万の人口を擁する、当時の世界でも有数の都市となった。誰がこの都市を築いたのかは今も判然とせず、後の世にこの地を訪れたアステカの人々が、廃墟の壮大さに「神々が生まれた場所」を意味するテオティワカンの名を与えた。
紀元前100年ごろから都市化が進み、紀元200年前後までに、南北に貫く「死者の大通り」を軸として、太陽のピラミッド・月のピラミッド・羽毛の蛇の神殿といった巨大な祭祀建築が整えられた。都市は5世紀ごろに繁栄の頂点を迎えるが、6〜7世紀には中心部が焼かれて衰退し、やがて放棄された。崩壊の原因は内乱や交易網の変化など諸説あり、定説をみない。長く廃墟であったが、20世紀初頭に太陽のピラミッドが大規模に修復され、今日見る姿となった。
都市は厳密な格子状に計画され、南北の大通り沿いに記念建築が並ぶ。建築の最大の特色はタルー=タブレロとよばれる壁面構成で、傾斜したタルーの上に額縁状のタブレロを載せ、これを段状に重ねて階段ピラミッドの外観をつくる。太陽のピラミッドは高さおよそ65メートルに達し、アメリカ大陸でも有数の規模を誇る。建物の表面はかつて漆喰で覆われ、赤を基調に鮮やかに彩色されていた。
テオティワカンの建築様式と都市計画は、メソアメリカ各地に影響を及ぼし、後のマヤやアステカの文化にも長く記憶された。築いた民族も都市の本来の名も失われたまま、巨大な石の都だけが残されたことが、かえってその神秘を深めている。1987年にユネスコ世界遺産に登録され、いまもメキシコを代表する遺跡として多くの人を集めている。