奈良県斑鳩、聖徳太子ゆかりの仏教寺院。607年の創建で、金堂・五重塔など西院伽藍…
京都市西京区、桂川のほとりに営まれた皇族・八条宮家の別荘。17世紀前半、智仁・智忠親王の二代が半世紀をかけて造り上げた、数寄屋と書院造による御殿群と池泉回遊式庭園の傑作である。
§1 — 概要桂離宮は、京都市西京区の桂川西岸に営まれた、皇族・八条宮家の別荘である。江戸時代初め、初代智仁親王が起こし、その子智忠親王が受け継いで、半世紀ほどをかけて御殿群と庭園が整えられた。数寄屋の意匠を基調とする書院群と、桂川の水を引いた池をめぐる回遊式庭園とが、寸分の隙もなく調和した姿は、日本の建築と造園が到達した一つの極致とされる。設計者を一人に帰す確証はない。
造営は1615年ごろ、和歌や古典に通じた智仁親王が下桂の地に古書院を建てたことに始まる。親王の没後しばらく荒廃したが、加賀前田家から妻を迎えて財をなした智忠親王が再興し、1641年ごろに中書院を、後水尾上皇の行幸に備えて1662年ごろに新御殿を増築した。こうして三期にわたる造営を経て、現在の姿がほぼ整った。庭の作者として江戸初期の数寄屋・作庭に名高い小堀遠州の名がしばしば挙がるが、宮家・小堀双方の記録に確証はなく、後世の付会とみられている。1883年に離宮と定められ、現在は宮内庁が管理する。
御殿は、床の間や違い棚を備えた書院造に、茶室の自由な意匠を取り入れた数寄屋の手法を融合させたものである。古書院・中書院・楽器の間・新御殿が雁行(がんこう)状にずれて連なり、高床の簡素な構えのなかに、釘隠や欄間など細部まで神経の行き届いた意匠が凝らされる。庭は桂川から水を引いた池を中心とする回遊式庭園で、州浜や石橋、二十数基の石灯籠、四つの茶屋を配し、歩くにつれて景色が移り変わる。天橋立に見立てた州浜など、各所に古典の情景が織り込まれている。
桂離宮は、左右対称や荘重さではなく、非対称と簡素さ、そして自然との対話のうちに美を見いだす、日本独特の感性を凝縮した建築である。戦火や火災を免れ、創建時の姿をよく今に伝える。昭和初期に来日したドイツの建築家ブルーノ・タウトが「泣きたくなるほど美しい」と絶賛して以来、近代建築の理念に通じる美として世界に広く知られるようになった。現在も宮内庁の管理のもと、事前申込制で公開され、訪れる人を迎えている。