アテネのアクロポリス北側に建つ、前5世紀末の古代ギリシア神殿。女神アテナと海神ポセイドンを共に祀り、起伏する地形に複雑な平面を重ねる。六体の女像柱が支える「乙女のポーチ」で名高い、イオニア式の傑作である。
§1 — 概要概要
ギリシアの首都アテネ、アクロポリスの丘の北側に建つ古代ギリシアの神殿である。パルテノンと並ぶアクロポリス造営計画の一環として、前5世紀末に建てられた。都市の守護女神アテナ・ポリアスと、海神ポセイドン(ここでは英雄エレクテウスと習合したポセイドン=エレクテウス)を中心に、複数の神格と聖物をひとつ屋根の下に祀る複合的な聖域であった。名は、付近に葬られたと伝わる伝説の王エレクテウスに由来する。六体の女性像が柱の役を果たすカリアティードの「乙女のポーチ」によって、古代建築のなかでもとりわけ人々に親しまれてきた。
歴史
この場所には、前480年のペルシア戦争でペルシア軍に破壊された古いアテナ・ポリアス神殿があった。その再建として、エレクテイオンの建設は前421年、ペロポネソス戦争のつかの間の休戦(ニキアスの和約)の時期に始まったと伝統的に考えられている(近年は前430年代の着工を支持する説もある)。工事はシケリア遠征の失敗にともなう戦況の悪化で中断し、前406年ごろにようやく完成した。完成期の建築会計を記した碑文には、工事を統括した設計者としてフィロクレスの名が残る。設計者は伝統的にイオニア式の名手ムネシクレスに帰せられることが多いが、これは推定であり確証はない。彫刻家ペイディアスを設計者とする俗説もあるが、彼はアクロポリス造営を監督した彫刻家であって本神殿の建築家ではない。後世、ビザンツ期には聖母マリア聖堂に、オスマン期には軍司令官の住居などに転用され、1687年のヴェネツィア軍による砲撃で大きく損傷した。
建築的特徴
エレクテイオンは、整然たる長方形を旨とするギリシア神殿の通例から大きく外れる。複数の聖域と起伏する地盤を一つの建物にまとめるため、東西で床の高さが異なり、各面に性格の違うポーチが取り付く非対称の構成をとる。柱は細身で優美なイオニア式で、東のポーチには六本のイオニア式円柱が並び、北のポーチには背の高い列柱と精緻な扉口がしつらえられる。白く緻密なペンテリコン大理石が用いられた。最も名高いのが南側のカリアティードのポーチで、高さ約1.8メートルの六体の女性像が、衣のひだを柱の縦溝のように見せながら軒を支える。像はラコニア地方カリュアイの乙女に由来するとも、その下に葬られた伝説の王ケクロプスを記念するともいわれる。現在ポーチに立つのは複製で、現存する原作はアクロポリス博物館などに保存されている。
意義・現在
エレクテイオンは、ギリシア建築のイオニア式の到達点を示すと同時に、機能と地形と信仰の要請に応じて自在に変形した、古典期建築の柔軟さを伝える稀有な作例である。女像柱という建築と彫刻の融合は後世のヨーロッパ建築にくり返し引用され、新古典主義の建物などにその影を落とした。現在は世界遺産「アテネのアクロポリス」を構成する記念物の一つとして、大理石の安定化や彫刻の保存を含む修復・管理のもとに置かれている。