カンボジア北西部、クメール王朝の都アンコールに立つ世界最大の宗教建造物。12世紀前半、スーリヤヴァルマン2世がヴィシュヌ神に捧げて築いた、聖山・須弥山を表す五塔と広大な環濠からなる石造寺院である。
§1 — 概要概要
アンコール・ワットは、カンボジア北西部シェムリアップ近郊、クメール王朝の都アンコールに立つ、世界最大の宗教建造物である。12世紀前半、スーリヤヴァルマン2世がヒンドゥー教の主神ヴィシュヌに捧げて造営した。砂岩を積み上げた寺院は、宇宙の中心とされる聖山須弥山(メール山)を地上に表したもので、中央にそびえる五基の尖塔がその五つの峰を、周囲を取り巻く広大な環濠が大海を象徴する。クメール語で「寺院の都」を意味する名のとおり、王の国家寺院であり、また自身の霊廟として構想された。設計者は記録に残らず不詳である。
歴史
造営は1113年に即位したスーリヤヴァルマン2世の治世に始まり、その没年(1150年ごろ)まで約三十年を費やした。王の死により工事は中断し、一部のレリーフは未完のまま残された。当初はヴィシュヌ信仰の中心であったが、12世紀末以降、クメール王朝が仏教へ傾くにつれて仏教寺院へと姿を変え、以後長く信仰の場であり続けた。1177年にはチャンパの攻撃を受け、15世紀には王都がプノンペンへ移って一帯は衰えたが、環濠に守られたアンコール・ワットは完全には放棄されず、上座部仏教の僧が守り続けた。19世紀、フランス人探検家アンリ・ムオが訪れて西洋に広く紹介され、20世紀以降は度重なる修復が施された。
建築的特徴
全体は、聖山を模した「寺院=山(テンプル・マウンテン)」と、層をなす回廊型寺院の形式を融合したクメール建築の到達点である。三重の回廊が同心状に重なり、各辺の中央には楼門(ゴープラ)が開く。最上層に蓮の蕾を思わせる五基の尖塔が立ち、中央塔は地上から約65メートルに達する。回廊の壁面には総延長800メートルに及ぶ精緻なレリーフが刻まれ、「乳海攪拌」や『マハーバーラタ』『ラーマーヤナ』の場面、王の行軍などが展開する。壁面のいたるところに、一体ごとに表情や髪型を違えた天女アプサラが舞う。多くのクメール寺院が東を向くのに対し、本寺は西を向いており、霊廟としての性格やヴィシュヌとの結びつきが指摘される。
意義・現在
アンコール・ワットは、クメール王朝の繁栄と、ヒンドゥー・仏教が重なり合うこの地の精神世界を一身に体現する記念碑である。国旗に描かれた唯一の建造物として、カンボジアの国家的象徴でもある。クメール・ルージュ期の混乱や戦乱、風化による損傷を経ながらも修復が続けられ、1992年にはアンコール遺跡群としてユネスコ世界遺産に登録された(当初は危機遺産リストにも記載された)。今日も巡礼と観光の中心であり、年間数百万の人々を迎えている。