ケルン大聖堂 Cologne Cathedral
ドイツ、ライン河畔のケルンに建つゴシックの大聖堂。1248年に着工し、約300年の中断をはさんで1880年に当初の中世の設計図どおり完成した。高さ157メートルの双塔をもち、東方三博士の聖遺物を納める巡礼地として知られる。
§1 — 概要概要
ケルン大聖堂(正式名称・聖ペテロ大聖堂)は、ドイツ西部、ライン河畔の都市ケルンに建つカトリックの大聖堂である。フランス盛期ゴシックの様式にならった北ヨーロッパ最大級のゴシック建築であり、高さ157メートルの双塔をもつ。ケルン大司教座が置かれ、東方三博士(マギ)の聖遺物を納める巡礼の中心として、中世以来この街の精神的な核をなしてきた。
歴史
1164年、ケルン大司教ライナルト・フォン・ダッセルが、ミラノから東方三博士の聖遺物をこの地へもたらした。これによりケルンは一大巡礼地となり、聖遺物にふさわしい壮大な聖堂が求められるようになる。1248年、大司教コンラート・フォン・ホーホシュターデンが礎石を据え、初代棟梁ゲルハルト・フォン・ライルの設計のもと、フランスの大聖堂に範をとった新たなゴシック聖堂の建設が始まった。東側の内陣は1322年に奉献された。
しかし資金難と時代の変化により、工事は1473年頃には事実上止まり、南塔の上にすえられた巨大な木造クレーンは、その後約400年にわたってケルンの空に残り続けた。建設が再び動き出すのは19世紀である。中世への関心の高まりと、当初の正面立面図が再発見されたこと、そしてプロイセン王家の後押しにより、完成への気運が生まれた。1842年、プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム4世が新たな礎石を据え、エルンスト・フリードリヒ・ツヴィルナーが工事を主導した。ツヴィルナーの没後はリヒャルト・フォイクテルが引き継ぎ、中世の設計図に忠実に従って、1880年、着工から632年を経て大聖堂は完成した。
建築的特徴
ケルン大聖堂は、ゴシック建築の構造原理を最大限に推し進めた建物である。尖頭アーチとリブ・ヴォールトによって天井の重みを柱の束へと集め、外へかかる力は飛梁(フライング・バットレス)が受け止める。これにより壁は重さを支える役目から解放され、広大な窓とステンドグラスに置き換えられて、内部は高くそびえる光の空間となった。内陣の高さと幅の比は3.6対1に達し、中世の聖堂のなかでもとりわけ垂直性が際立つ。完成は19世紀だが設計は中世の図面に忠実であり、約600年を隔てた建設の前後で様式の一貫性が保たれている点も、この大聖堂の特質である。
意義・現在
ケルン大聖堂は、信仰と都市の意志が世紀を超えて受け継がれたことの記念碑である。第二次世界大戦ではケルンの市街が壊滅的な空襲を受けるなか、十数発の直撃を被りながらも倒壊を免れ、戦後に修復された。堂内には、ニコラウス・フォン・フェルダンが手がけた黄金の三王の聖遺物箱(シュライン)をはじめ、中世のステンドグラスや高祭壇などの宝物が伝わる。1996年にユネスコ世界遺産に登録された。今日もドイツでもっとも多くの人が訪れる記念建造物であり、その保全のための工事が絶えることはない。
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