建築様式史 — CHAPTER 04
東方の体系
Islamic & Asianペンデンティヴの幾何学が東で別の道をたどったように、ここで視点を地中海の外へ広げよう。本章は時代順ではなく、一つの地理のまとまりである——西アジアから北アフリカ、インド、東南アジアにかけて、ローマやキリスト教世界とは異なる原理の上に築かれた、もう一つの建築の大伝統を見わたす。
イスラーム建築の文法
7世紀に興ったイスラームは、またたく間に西アジアから北アフリカ、イベリア半島へと広がり、各地の伝統を吸収しながら独自の建築言語をつくり上げた。その中心にあるのはモスク(礼拝堂)である。信者が一斉にメッカの方角(キブラ)へ祈れるよう、奥の壁にはその方向を示す窪み(ミフラーブ)が穿たれ、傍らには高い塔ミナレットが立って礼拝の時を告げた。初期のモスクは、列柱が林立する広間(多柱式)と中庭を組み合わせた形をとる。スペイン、コルドバの大モスクでは、紅白に塗り分けた二重のアーチが森のように連なり、限られた柱が無限の広がりを錯覚させた。のちペルシアでは、中庭の四面に巨大なアーチ状の張り出し(イーワーン)を据える形式が定着し、各地のモスクの規範となる。偶像を忌避する信仰は、人や神の像を描く代わりに、抽象の美を極限まで磨き上げた。植物文様を無限に連ねるアラベスク、緻密な幾何学模様、そして流麗な書(カリグラフィー)が、壁面をすきまなく覆う。アーチも独自に発展し、西方では蹄の形をした馬蹄アーチが、東方では尖頭アーチが好まれた。天井や半ドームの隅には、蜂の巣状の小室を積み重ねたムカルナスが鍾乳石のように垂れ下がり、光を細かく砕いて非物質的な輝きを生んだ。
楽園としての建築
イスラーム建築は、しばしば地上に「楽園(パラダイス)」を現出させようとした。その手立てが、水と庭園である。スペイン、グラナダのアルハンブラ宮殿は、ナスル朝の王たちが築いた宮殿・要塞で、馬蹄アーチとムカルナス、アラベスクに覆われた部屋が、噴水と水盤をたたえた中庭を囲む。名高い「獅子の中庭」では、十二頭の獅子が支える泉から四方へ水路が延び、楽園を流れる四つの川をかたどった。壁には宮廷詩人の韻文そのものが刻まれ、建築と詩と水が分かちがたく溶け合う。丘の上に隣接する離宮ヘネラリーフェの段庭は、水の流れる楽園の庭の精髄を今に伝える。同じ理想は、インドのムガル帝国で壮大な廟建築へと結実する。皇帝シャー・ジャハーンが亡き妃のために築いたタージ・マハルは、白大理石の対称的なドーム廟を、十字に水路を切った四分庭園(チャハル・バーグ)の正面に据えた。白い面には色石を象嵌(ピエトラ・ドゥーラ)して花文を描き、四隅に四本のミナレットを配して完璧な左右対称をなす。設計は宮廷建築家ウスタード・アフマド・ラホーリらの手によるとされる。墓でありながら、それは死者のための楽園の表象であった。なお、このタージ・マハルは17世紀——西欧ではバロックの時代——の作であり、本章が時代ではなく地理で束ねられていることを、よく示している。
仏教的宇宙
視点を東南アジアへ移すと、こんどは仏教とヒンドゥー教の宇宙観が、巨大な石の記念碑となって立ち現れる。ジャワ島中部のボロブドゥールは、8〜9世紀にシャイレーンドラ朝が築いた、世界最大級の仏教遺跡である。方形の基壇を幾層も積み上げ、頂に大きなストゥーパを戴くその全体は、上から見れば一つの巨大な立体マンダラ——悟りへの道を空間化した図像をなす。下層は欲望の世界(欲界)、中層は形ある世界(色界)、最上層は形なき世界(無色界)にあたる。参拝者は最下層から回廊を時計回りに巡り、壁を埋める浮き彫りに導かれて上昇し、頂部の三層の円壇には七十二基の透かし彫りストゥーパが同心円状に並び、その一つひとつに仏像が静座する。建築そのものが、修行の道であった。この聖山はのちに火山灰と密林に埋もれ、19世紀に再発見されている。
ヒンドゥー=クメールの山
仏教とヒンドゥー教に共通する宇宙の中心が、神々の住まう聖なる山——須弥山である。これを最も壮大に地上へ再現したのが、カンボジアのクメール帝国であった。12世紀、王スーリヤヴァルマン2世が築いたアンコール・ワットは、もとはヒンドゥー教の寺院で、濠に囲まれた広大な境内の中央に、五つの尖塔(プラサート)が須弥山の峰々のごとくそびえる。その規模は、現存する世界最大級の宗教建築に数えられる。参道と回廊が同心に巡り、壁面には叙事詩『マハーバーラタ』『ラーマーヤナ』や、天地創造の神話「乳海攪拌」の場面が延々と刻まれた。真のアーチをもたず、石を少しずつせり出して架ける持ち送りの技法で、これほどの規模を実現した点も驚異である。張りめぐらされた濠と運河は、この都市が高度な治水に支えられた「水の帝国」であったことを物語る。寺院はのちに仏教寺院として用いられ、今日もカンボジアの国旗にその姿が描かれている。地中海の建築が「内部空間」を彫り深めたのに対し、ここでは宇宙のかたちそのものを大地に築こうとしたのである。東をめぐる旅はここまでとし、次章ではふたたび視点を西欧へ戻して、石造の垂直と光を求めた中世——ロマネスクとゴシックへと向かう。