EST. 2026 — Editorial Archive of Notable Architecture

建築様式史 — CHAPTER 16

近代への懐疑

Brutalism, Metabolism, Postmodern

第二次大戦が終わったとき、近代建築は世界を覆う勝者となっていた。だが、その普遍と楽観そのものに、やがて懐疑が向けられる。打ち放しコンクリートに倫理を見いだす者、都市を生き物のように構想する者、捨てたはずの装飾と歴史を呼び戻す者——本章では、近代の理想を疑い、問い直し、反転させた、戦後の三つの動きをたどる。

表現としてのコンクリート

戦後の建築を語るには、まず一人の巨匠の変貌から始めねばならない。「住むための機械」を説き、白い箱の近代を主導したル・コルビュジエである。彼は戦後、フランスの丘に建てたロンシャンの礼拝堂で、まったく別の顔を見せた。分厚く湾曲した壁、反り返る重い屋根、不規則に穿たれた窓——そこには、合理や幾何学では割り切れない、彫塑的で感覚的な建築があった。同じころ、コルビュジエは集合住宅ユニテ・ダビタシオンで、化粧をせず型枠の跡を残したままの粗いコンクリート——フランス語で「béton brut(生のコンクリート)」——を堂々と見せている。ここから、打放しコンクリートを主役とするブルータリズムが生まれた。素材と構造を化粧で隠さず、正直にさらすことを倫理とするこの様式は、戦後の公共住宅や大学、文化施設に世界中で採用される。ボストン市庁舎やロンドンのバービカン団地のような重厚なコンクリートの建築が、各国の都市にそびえた。批評家バンハムは、これを「ニュー・ブルータリズム」と呼んで理論化している。力強く民主的な建築として支持されたが、汚れの目立つ巨大な塊として嫌われ、多くが取り壊された。一方で近年は、その彫塑的な力強さが再評価され、保存を求める声も高まっている。こうしたなかで、近代運動を束ねてきた制度も限界を迎えた。機能主義の総本山であったCIAM(近代建築国際会議)は、都市を機能で割り切る教義に異を唱える若い世代との亀裂を深め、1959年に解散する。単一の正解を共有する時代は、制度のうえでも幕を下ろしたのである。

メタボリズム

近代への問い直しは、ヨーロッパだけのものではなかった。戦後の復興と急成長のただなかにあった日本で、若い建築家たちが、世界に向けて独自の未来像を打ち出す。1960年に提唱されたメタボリズム(新陳代謝)である。黒川紀章、菊竹清訓、槇文彦らは、丹下健三を後ろ盾に、都市や建築を、固定した完成品ではなく、生き物のように成長し、部分を取り替えながら変化していくものとしてとらえた。彼らが構想したのは、長く使う巨大な構造体(メガストラクチャー)に、寿命の短い住戸ユニットを交換可能な形で取り付ける、という大胆な仕組みである。その思想を最もよく実現したのが、黒川紀章の中銀カプセルタワービルであった。二本の塔に、工場で作られた140個のカプセルがボルトで取り付けられ、劣化すれば取り替えられるはずだった。だが、カプセルが交換されることは一度もなく、建物は老朽化し、2022年に解体される。構想と現実の隔たりをも残しながら、都市を生きて変化するものとみる発想は、世界に強い刺激を与えた。1970年の大阪万博は、メタボリストたちが未来都市の断片を実地に試みる祝祭の場となる。同じころ、イギリスのアーキグラムも可動し増殖する都市を描いており、巨大構造による未来都市の夢は、世界的な潮流であった。

ポストモダン

三つめの動きは、近代がもっとも誇った原則そのものへの、正面からの反逆であった。装飾を排し、簡素と純粋を旨とするモダニズム——その「Less is more(少ないほど豊か)」に対し、アメリカの建築家ロバート・ヴェンチューリは、Less is bore(少ないことは退屈だ)と言い放つ。彼は著書で、簡素なモダニズムを退屈と批判し、複雑さと矛盾、そして歴史の引用を擁護した。彼は妻のデニス・スコット・ブラウンらと、けばけばしい看板に覆われたラスベガスの街並みすらも、現代の生きた建築言語として分析してみせている。こうして、捨てられたはずの装飾・色彩・象徴・物語が、建築に呼び戻される。マイケル・グレイヴスがポートランドに建てた市の庁舎オフィスは、ガラスの箱が当たり前だったオフィスビルに、巨大な「鍵石」や柱を思わせる装飾を、明るい色彩で大胆に描いてみせた。古典の語彙を引用しながら、それを拡大し、平面的に貼りつけるこの手法は、世界中に広まり、ポストモダン建築と呼ばれる。ニューヨークでは、フィリップ・ジョンソンが、頂部に古典的な装飾を戴く高層ビル(AT&Tビル)を建てて世を驚かせた。批評家のなかには、近代建築の「死」を宣言する者さえ現れた。チャールズ・ジェンクスは、セントルイスの近代主義団地プルーイット・アイゴーが1972年に爆破解体された瞬間を指して、「近代建築が死んだ日」と名指ししている。

多元化の時代へ

ブルータリズムも、メタボリズムも、ポストモダンも、向かう先はそれぞれ異なっていた。だが、その根には、近代建築が掲げた単一の「正解」——普遍的で合理的な、白い箱の世界——への共通の懐疑があった。コンクリートの倫理によって、生物のような変化によって、あるいは歴史と装飾の復権によって、それぞれが近代を問い直し、更新し、あるいは反転させようとしたのである。こうして、たった一つの正しい様式という近代の信念は崩れ、建築は多元化の時代へと入っていく。もはや、誰もが従うべき規範は存在しない。むしろ、土地の風土や歴史に根ざそうとする地域主義など、無数の立場が並び立つようになる。次章では、この自由がさらに極まり、形態そのものを断片化し、ねじ曲げ、非線形へと解き放つ、脱構築とハイテックの時代へと向かう。