ロマネスク建築
Romanesque architectureロマネスク建築(Romanesque architecture)は、おおよそ11世紀から12世紀にかけて、西ヨーロッパに広まった石造の建築様式である。古代ローマの建築を範としたことから、後世「ローマ風(ロマネスク)」と呼ばれた。カロリング朝・オットー朝の建築を受け継ぎ、続くゴシック建築の前段に位置する。
構造の基本は、古代ローマ由来の半円アーチと、それを連ねた樽型ヴォールトや交差ヴォールトにある。石の天井は重く、外へ広がろうとする横圧を受け止めるため、壁は厚く、柱は太く、窓は小さくなる。結果として内部は、薄暗く量塊感に満ちた静謐な空間となり、外観もまた塔と厚い壁が連なる城塞のような構えをもつ。壁面には半円アーチを連ねた装飾(ブラインド・アーケード)が好まれ、扉口上部の半円形の壁面(タンパン)には「最後の審判」などの彫刻が刻まれた。
建築の主たる担い手は修道院であった。クリュニーを頂点とする修道院網と、サンティアゴ・デ・コンポステーラへ至る巡礼路が各地に大聖堂を生み、聖遺物を安置して巡礼者を迎えるため、内陣を巡る周歩廊や放射状の礼拝堂が発達した。様式は地域ごとに豊かな変種を見せた。イングランドやノルマンディーの重厚な構成(ノルマン様式)、北ドイツの煉瓦による系統(ブリック・ロマネスク)、白と濃色の大理石を縞に重ねて開廊を層に積むイタリアの明るい様式——ピサの大聖堂とその斜塔はその代表である——などが並び立った。
なかでもライン川沿いのシュパイアー大聖堂は、神聖ローマ皇帝の墓所として築かれた現存最大級のロマネスク聖堂であり、石造の交差ヴォールトで身廊を覆った先駆的な達成で知られる。
やがて、より高く、より明るい空間を求める動きのなかから、尖頭アーチと飛梁を備えたゴシック建築が生まれ、ロマネスクに取って代わっていった。