イスタンブールのガラタ地区に建つジェノヴァ植民市の見張り塔。14世紀半ばにガラタ城壁の最高地点へ築かれ、火の見櫓や牢獄を経て、現在は展望台を備える博物館である。
§1 — 概要概要
ガラタ塔は、トルコ共和国イスタンブールのベイオール区ガラタ地区に建つ石造の円塔である。ジェノヴァ人の植民市を囲んだガラタ城壁の最高地点に、見張り塔として築かれた。城壁の大半が失われた今日も塔は残り、ベイオール、ひいてはイスタンブールを象徴する建造物となっている。円錐屋根の頂までの高さは62.59メートル、頂部の装飾を含めると約66.9メートルで、建設当時は市内で最も高い建物であった。2020年からはガラタ塔博物館として公開されている。
歴史
ビザンティン時代、この一帯にはユスティニアヌス1世が建てたとされる塔があったが、1204年の第4回十字軍による攻略で破壊された。1267年、ジェノヴァ人は金角湾の北側にペラと呼ばれる植民市を築く。ガラタ塔は、この植民市が北東の丘へ支配域を広げる過程で行われた城壁工事の一環として、1348年から1349年にかけて建てられた。頂に十字架を掲げたことから、当時はキリストの塔(クリステア・トゥッリス)あるいは聖十字架の塔と呼ばれた。
1453年のオスマン帝国によるコンスタンティノープル攻略後、ジェノヴァ人の自治は解かれ、ガラタの城壁は損傷を受けたが、メフメト2世の勅令により塔は破壊を免れ、傷んだ部分は再建された。1509年の地震で被害を受けて翌年修復され、16〜17世紀には捕虜の収容所や補給倉庫として、1717年からは火の見櫓として用いられた。1794年の火災の後の修復では上層の設計が改められ、1831年の火災を経て再び姿を変えている。円錐屋根は19世紀に失われ、オスマン帝国の残る期間を通じて屋根のないまま過ごした。
1965年から1967年の大規模な修復で円錐屋根が復元され、木造だった内部は鉄筋コンクリートに置き換えられて一般公開が始まった。2020年の整備で博物館となり、2023年からは屋根と構造の補強を含む修復が行われ、2024年5月25日に再開した。同時に、1時間あたり100人という入場制限が導入されている。
建築的特徴
円筒形の塔身は切石積みで、基部の外径16.45メートル、内径8.95メートル、壁厚は3.75メートルに及ぶ。この壁厚が、地震と火災を繰り返しながら6世紀半を生き延びた耐久性を支えた。塔身は9層に分かれ、展望階は地上51.65メートルに位置する。
様式はロマネスクに分類される。装飾はきわめて乏しく、半円アーチの小窓が壁面に規則的に穿たれるのみで、意匠よりも監視と防御の機能が優先されていることが読み取れる。上層に張り出す回廊と円錐屋根は、19世紀の図像や写真をもとに20世紀の修復で与えられた形であり、中世の原形そのものではない。内部の階段はもと木造で、現在は下層に石段、上層に鉄骨階段と昇降機が併設されている。
意義・現在
ガラタ塔は、コンスタンティノープルの城壁の外側に成立したイタリア商人の自治都市が残した、最も明瞭な物証である。ビザンティン、ジェノヴァ、オスマンという三つの支配が同じ石造の躯体を使い回し、そのつど用途を書き換えてきた歴史そのものが、この塔の内容をなしている。
1638年、ヘザルフェン・アフメト・チェレビがこの塔の屋上から翼をつけて飛び立ち、ボスポラス海峡を越えてウスキュダルに降り立ったという逸話が、オスマンの旅行家エヴリヤ・チェレビによって伝えられている。史実性は疑わしいが、塔が都市の想像力のなかで占めてきた位置をよく示す。2013年にはユネスコ世界遺産の暫定リストに記載された。展望階からはボスポラス海峡と旧市街を一望でき、イスタンブールで最も訪問者の多い建造物の一つとなっている。