カンタベリー大聖堂 Canterbury Cathedral
イングランド国教会の総本山で、カンタベリー大主教座が置かれる大聖堂。597年の創建にさかのぼり、現存する建物は1070年以降に再建された。火災後のゴシック内陣、ペルペンディキュラーの身廊とベル・ハリー塔を擁し、ベケット殉教の地として中世以来の巡礼地である。世界遺産。
§1 — 概要概要
カンタベリー大聖堂は、イングランド南東部ケント州カンタベリーに建つ、イングランド国教会(および世界のアングリカン・コミュニオン)の総本山である。正式にはクライスト・チャーチ大聖堂と呼ばれ、カンタベリー大主教の座が置かれる。597年の創建以来イングランド・キリスト教の中心であり続け、現存する建物は、ノルマン様式の地下聖堂からゴシックの内陣、ペルペンディキュラー・ゴシックの身廊と中央塔まで、約450年にわたる中世建築の変遷を一棟のうちに重ねている。1988年に世界遺産に登録された。
歴史
大聖堂の起源は、597年に教皇グレゴリウス1世が派遣した聖アウグスティヌス(オーガスティン)がケントにキリスト教を伝えて創建した聖堂にさかのぼる。サクソン時代の聖堂は1067年の火災で失われ、初代ノルマン人大主教ランフランクが1070年から1077年にかけて、カーン産の石を用いてロマネスク様式で全面的に建て直した。12世紀には大主教アンセルムらのもとで内陣が東へ拡張される。1170年、大主教トマス・ベケットがこの聖堂内で国王ヘンリー2世の騎士たちに殺害され、殉教の地として一大巡礼地となった。1174年の火災で内陣が焼けると、フランスの棟梁ウィリアム・オブ・センスがゴシック様式で再建を始め、その後をイギリス人ウィリアムが継いで、ベケットの聖遺物をまつるトリニティ礼拝堂を完成させた。14世紀末にはヘンリー・イーヴリーがノルマン様式の身廊をペルペンディキュラー・ゴシックに建て替え、1490年代にはジョン・ウェイステルが中央塔ベル・ハリーを築いて、現在の姿がほぼ整った。
建築的特徴
建物は、増改築の積層がそのまま様式の年表となっている点に特色がある。火災を免れた地下聖堂は、太い円柱と半円アーチが連なるノルマン=ロマネスクの重厚な空間を伝える。その上に立つ内陣は、尖頭アーチとリブ・ヴォールトによる初期イングランド・ゴシックで、フランスから移植された新様式がイングランドに根づく転換点を示す。西側の身廊は、高く伸びる柱とリーン・ヴォールトをもつペルペンディキュラー・ゴシックで、垂直性と明るさを強調する。交差部にそびえる高さ72メートルのベル・ハリー塔は、精緻なファン・ヴォールトを内に納め、遠方からも望める大聖堂の象徴となっている。
意義・現在
カンタベリー大聖堂は、英国国教会の精神的中枢であると同時に、ベケットの殉教とその巡礼によって中世ヨーロッパの信仰史に深く刻まれた場所である。チョーサーの『カンタベリー物語』は、この大聖堂を目指す巡礼を題材としている。ウィリアム・オブ・センスがもたらしたゴシックはイングランド建築の流れを変え、後のイーヴリーやウェイステルの仕事は後期ゴシックの規範となった。現在も礼拝と大主教座の機能を保ちながら、聖オーガスティン修道院跡・聖マーティン教会とともに世界遺産を構成し、多くの巡礼者と訪問者を迎えている。