降誕教会 Church of the Nativity
ベツレヘム、イエス生誕の地とされる洞窟の上に建つバシリカ。4世紀のコンスタンティヌス帝による創建に発し、現在の建物は6世紀の再建にさかのぼる、聖地で最古の主要な教会堂である。
§1 — 概要概要
降誕教会(Church of the Nativity/كنيسة المهد)は、パレスチナのベツレヘムに建つバシリカ式の教会堂である。イエスが生まれたと伝えられる洞窟の真上に建ち、その洞窟はキリスト教で継続的に礼拝に用いられてきた最古の場所とされる。建物自体も聖地における最古の主要な教会堂であり、6世紀の再建以来、基本の形をほとんど変えずに使われ続けてきた。ギリシャ正教会・アルメニア使徒教会・カトリック(フランシスコ会)の三者が共同で管理する。
歴史
最初の聖堂は、コンスタンティヌス1世の命により326年に着工した。母ヘレナのエルサレム・ベツレヘム訪問を受けた事業で、エルサレム主教マカリオスの監督のもとに工事が進み、339年5月31日に献堂されている。東端に八角形に近い多角形の内陣を置き、その床に開けた直径約4メートルの開口から下の洞窟を見下ろす構成であった。この聖堂は6世紀のサマリア人の反乱(529年もしくは556年)で焼失する。
現在の建物は、その後にユスティニアヌス1世の主導で再建されたものである。ナルテクスを加え、八角形の内陣を三つのアプスをもつ翼廊に置き換えたが、五廊式のバシリカという基本形は踏襲した。614年にササン朝ペルシアがパレスチナへ侵攻した際、入口上部に描かれた東方の三博士がペルシアの祭司の装いであったため破壊を免れた、という伝承が残る。
十字軍時代の12世紀には内部が大規模に装飾され、1160年代に画家エフレムらの工房がモザイクを制作した。オスマン朝期には荒廃が進み、家畜の侵入を防ぐため正面入口が塞がれて小さな戸口に改められた。これが今日「謙遜の扉」と呼ばれる入口である。1834年の地震で鐘楼などが損傷し、19世紀には管理をめぐる各教派の対立が国際問題に発展した。1852年以降、三教派の権利関係は「現状維持(ステータス・クオ)」と呼ばれる取り決めによって規定されている。
建築的特徴
平面は、四列の円柱が身廊と四つの側廊を分ける五廊式のバシリカである。円柱は一本石の石灰岩で、コリント式の柱頭をもつ。壁面上部には十字軍期のモザイクが、円柱には同時期に描かれた聖人像が部分的に残る。床下には4世紀の創建時のモザイク床が保存されている。
東端は三つのアプスが三方に開く三葉形内陣で、その下に降誕の洞窟がある。洞窟へは内陣の両脇の階段で降り、床の銀の星が生誕の場所を示す。屋根は木造の小屋組で、この構造が長く弱点であった。中世以来たびたび葺き替えられ、1480年にはイングランドが鉛、ブルゴーニュが木材、ヴェネツィアが労働力を提供して修理が行われている。
意義・現在
降誕教会は、初期キリスト教のバシリカがほぼ原形のまま今日まで使われ続けている稀な例である。ローマの集会堂形式が礼拝の器として定着していく過程を、6世紀の実物によって確かめることができる。
20世紀後半以降、屋根からの漏水が木部と壁画を傷め、2008年にはワールド・モニュメント財団の危機遺産ウォッチリストに挙げられた。2012年、パレスチナ初の世界遺産として「イエス生誕の地:ベツレヘムの聖誕教会と巡礼路」の名で登録されると同時に危機遺産リストにも記載され、修復の進展により2019年に危機リストから外れている。2013年に始まった修復では屋根・窓・木部が更新され、漆喰の下から7体目の天使のモザイクが見つかった。洞窟の修復など、残された課題はなお多い。