ストラスブール大聖堂 Cathedral of Our Lady of Strasbourg
アルザスのストラスブールに建つ、ヴォージュ山地の赤砂岩で造られたゴシックの大聖堂。1015年に始まり、1439年に142メートルの単塔が完成した。1647年から1874年まで世界一高い建造物だった。
§1 — 概要概要
ストラスブール大聖堂(Cathédrale Notre-Dame de Strasbourg)は、フランス東部アルザス地方の都市ストラスブールに建つカトリックの大聖堂である。ヴォージュ山地産の赤砂岩で造られ、その色から赤褐色に映える外観で知られる。ロマネスクの部分を残しつつ、全体としてはレヨナン式ゴシックの傑作のひとつに数えられる。高さ142メートルの単塔は1439年に完成し、1647年から1874年まで世界で最も高い建造物であった。今日もなお、中世に完全に建てられた現存最高の建築物とされ、ドイツとフランスの文化が交わるアルザスの象徴である。
歴史
この地の聖堂は古く、1015年に司教ウェルナーがカロリング朝の聖堂跡に新しい大聖堂の礎石を置いたことに始まる。木の小屋組をもつこのロマネスク聖堂は火災に弱く、たびたび焼け、1176年の火災を機に現在のゴシック聖堂の建設が始まった。1190年頃から後期ロマネスク〜初期ゴシックで内陣・翼廊が起こされ、1245年頃からは身廊が盛期ゴシックで建て替えられた。1277年、石工棟梁エルヴィン・フォン・シュタインバッハの指揮で西正面の礎石が据えられ、その子ヨハネス、孫ゲルラハらシュタインバッハ一族が造営を継いだ。14世紀末には鐘塔が二つの塔を一体化し、1399年からウルリヒ・フォン・エンジンゲンが北側に八角形の塔身を立ち上げる。エンジンゲンの没後、ケルン出身のヨハネス・ヒュルツが跡を継ぎ、1439年、透かし彫りの精緻な尖塔がついに完成した。当初は西正面に二つの塔を建てる計画だったが、南塔は建てられず、単塔の非対称な姿が大聖堂の個性となっている。1870年の普仏戦争で交差部の塔が砲撃で損なわれると、建築家ギュスターヴ・クロッツがネオ・ロマネスク様式でより高い塔に再建した。第二次大戦の空襲でも被災し、戦後(1988–1992年)に修復されている。
建築的特徴
大聖堂は、ロマネスクとゴシックが連続する建築である。後陣(アプス)寄りの内陣や二つのクリプト(地下聖堂)にはロマネスクの厚い壁と半円アーチが残り、身廊から西正面にかけてはゴシックの尖頭アーチ・リブ・ヴォールト・フライング・バットレスが空間を高く開く。とりわけ西正面は、荷重を支える壁の前に石の細い垂直材を「カーテン」のように立てる透かし彫りのトレーサリーで覆われ、フランスでも例のない繊細な面をつくる。その中央には大きなバラ窓が穿たれる。北塔は八角形の塔身の上に、相互に絡み合うアーチと小尖塔からなる八段の尖塔を載せ、内部には頂部まで石の螺旋階段が通る。素材は一貫してヴォージュの赤砂岩で、壁面を覆う膨大な彫刻群とともに、赤褐色の量塊として街にそびえる。
意義・現在
ストラスブール大聖堂は、数世紀にわたる造営の積層を一身に体現する建築である。ロマネスクからレヨナン式ゴシックへ、さらに19世紀の歴史主義的修復までが一つの建物に重なり、ドイツ語圏とフランス語圏の境界で育まれたゴシックの到達点を示す。文豪ゲーテはエルヴィン・フォン・シュタインバッハの仕事を讃え、その評論は近代における中世建築の再評価を促した。1988年には市の歴史地区「ストラスブールのグランディル」とともにユネスコ世界遺産に登録されている。現役の大聖堂であると同時に、塔上の展望台からアルザス平野を一望できる場所として、今日も多くの人を集める。