EST. 2026 — Editorial Archive of Notable Architecture
ノートルダム大聖堂
© P e z i / CC BY-SA 3.0
FIG. 01 — Q2981
様式 · フランスのゴシック建築 時代 · 中世 類型 · 宗教建築 ★ ユネスコ世界遺産(パリのセーヌ河岸、1991年登録)

ノートルダム大聖堂 Notre-Dame de Paris

Notre-Dame de Paris

パリのシテ島に立つ、フランス・ゴシックを代表する大聖堂。1163年に着工し、リブ・ヴォールトと飛梁、壮麗なばら窓を備える。2019年の火災で尖塔と屋根を失ったが、忠実な再建を経て2024年に再開した。聖母マリアに捧げられた、ユネスコ世界遺産である。

FIG. 02 — Location48.8530° N 2.3498° E
フランス Quartier Notre-Dame パリ
§1 — 概要

概要

ノートルダム大聖堂(Notre-Dame de Paris)は、パリのセーヌ川に浮かぶシテ島に立つ、カトリックの大聖堂である。聖母マリア(ノートルダム=「我らが貴婦人」)に捧げられている。1163年に着工し、リブ・ヴォールトと飛梁(フライング・バットレス)を駆使した構造、巨大なばら窓、そして豊かで写実的な彫刻によって、フランス・ゴシック建築を代表する一作とされる。

歴史

建設は、パリ司教モーリス・ド・シュリーの発意により始まった。1163年、国王ルイ7世とローマ教皇アレクサンデル3世の臨席のもとで礎石が据えられたと伝えられる。内陣(1163〜1182年)、身廊と飛梁(〜1200年頃)、西正面と双塔(〜1250年頃)と段階を追って築かれ、本体はおおむね13世紀半ばに整った。その後も、シェルのジャン、モントルイユのピエールらの棟梁が翼廊の正面やばら窓を加え、周歩廊の礼拝堂などの増改築は14世紀半ばまで続いた。設計や施工を担った初期の棟梁たちの名は、ほとんど伝わっていない。

革命期の1790年代には、聖堂は大きな破壊と冒瀆を被り、西正面の「王のギャラリー」の彫像が倒された。1804年にはナポレオンの戴冠式の舞台となり、1831年に発表されたヴィクトル・ユゴーの小説『ノートルダム・ド・パリ』は、荒れていた聖堂への関心を呼び覚ました。これを受けて、1844年から1864年にかけてヴィオレ・ル・デュクとラシュスによる大修復が行われ、名高い尖塔(フレッシュ)やガーゴイルが加えられた。

2019年4月15日、屋根裏から出た火は、19世紀の尖塔と中世以来の木造小屋組、そして一部のヴォールトを焼き落とした。フランスは「元のとおりに(à l'identique)」の方針のもと再建に取り組み、フィリップ・ヴィルヌーヴを主任建築家として工事を進めた。聖堂は2024年12月、ふたたび扉を開いた。

建築的特徴

ノートルダムは、ロマネスクの重い壁から脱し、ゴシックの新しい構造を都市の規模で実証した。荷重を外へ逃がす飛梁が高い身廊を支え、壁は薄く、開口は大きくとられている。西正面・北・南の三つの大きなばら窓は、ステンドグラスを通して堂内を光で満たす。正面下部の彫刻群や、後世に加えられた怪物像(シメール)も、この聖堂の名高い見どころである。建設は1163年の初期ゴシックに始まり、翼廊の正面は、より新しいレイヨナン式で整えられた。

意義・現在

ノートルダム大聖堂は、ゴシック建築の一つの到達点であると同時に、フランスの歴史と記憶が幾重にも積み重なった場所でもある。1991年、「パリのセーヌ河岸」の一部としてユネスコ世界遺産に登録された。2024年の再開ののちも、周辺部の修復は続いている。シテ島に立つその姿は、八百年を超えて、なお人々を集めている。

関連する建築

Related
同じ建築家
ゴシック建築 サン=ドニ大聖堂
1281 · サン=ドニ
サン=ドニ大聖堂
Pierre de Montreuil

パリ北郊サン=ドニに建つ大聖堂。修道院長シュジェールの再建により1144年に完成…

データ: Wikidata (Q2981) / 解説: Wikipedia 日本語版 · English / 画像: © P e z i / CC BY-SA 3.0 — Wikimedia Commons
LAST EDIT — 2026.06.21
ENTRY ID — BLD-0010