ロマネスク建築
オットー式建築(オットー朝建築)は、10世紀半ばから11世紀前半にかけて、オットー朝の神聖ローマ帝国—おもに現在のドイツ—で展開した建築様式である。カロリング朝建築の遺産を受け継ぎつつ、初期キリスト教・ビザンティン・古代ローマの要素を統合し、来るべきロマネスク建築の規範を準備した「前ロマネスク(初期ロマネスク)」の様式として位置づけられる。
造営の主体は、皇帝と結びついた司教座聖堂や帝国修道院であった。平面はローマのバシリカを範とし、木組みの天井をもつ三廊式の身廊を基本とするが、東西の両端に内陣を備える二重内陣形式や、入口側に塔を組み合わせた重厚な西構え(ウェストヴェルク)が好まれた点に特徴がある。半円アーチ、厚い石壁、小さな窓といった、のちのロマネスクに通じる量塊的な構成がこの時期に固まっていく。
とりわけザクセン地方では、身廊を支える柱列に円柱と角柱を交互に並べる交替支柱が好まれ、正方形の交差部を基準寸法として各部の比例を定める数的秩序が追求された。ヒルデスハイムの聖ミカエル教会はその完成形として知られ、整然とした空間のリズムと明快な幾何学が、装飾に頼らない構築の美学を体現している。建築のみならず写本挿絵・象牙彫刻・金属工芸を含む「オットー朝美術」の一環として、ベルンヴァルトのような芸術家司教の事業のもとで、中世盛期のロマネスク文化へと橋を架けた。