ウィーン分離派
年代
1897 — 1918
ウィーン分離派(ゼツェッシオン)は、19世紀末のウィーンに興った芸術運動、およびその建築様式である。1897年、グスタフ・クリムトらが保守的なアカデミーから「分離」して結成し、「時代にはその芸術を、芸術にはその自由を」を標語に掲げた。広くはアール・ヌーヴォーの一翼をなすが、フランスやベルギーの流麗な曲線に対し、ウィーンの建築家たちはより幾何学的で簡潔な造形を志向した点に特色がある。
オットー・ヴァーグナーの郵便貯金局、ヨーゼフ・マリア・オルブリヒによる分離派会館、そしてヨーゼフ・ホフマンのストックレー邸が代表作に数えられる。とりわけホフマンと、彼が関わったウィーン工房は、建築・家具・工芸・グラフィックを統一的にデザインする総合芸術の理念を推し進めた。直線と方形の格子、金の多用、白い壁面といった語彙は、装飾を排する近代建築や、幾何学的な装飾を好むアール・デコへの橋渡しとなり、20世紀初頭のデザインに広い影響を残した。
様式の系譜としては、フランスやベルギーで花開いたアール・ヌーヴォーを母体としつつ、その有機的な曲線をしりぞけて幾何学的な秩序へと向かった点に、ウィーン分離派の独自性がある。ホフマンの直線的な造形はやがて格子状の意匠へと純化し、装飾そのものを罪とみなしたアドルフ・ロースの主張とも響き合いながら、装飾を切り詰める近代建築の流れを準備した。その意味で本様式は、世紀末の装飾芸術と20世紀の合理主義建築とを橋渡しする、過渡的にして重要な位置を占めている。