軍事建築
メリリャ・ラ・ビエハ
北アフリカ沿岸のスペインの自治都市メリリャで、海に突き出た岩の半島を占める城…
建築家 / Architect
イタリアの軍人・軍事技師。ベルガモ近郊マルティネンゴの医師の家に1470年代後半に生まれ、1508年にヴェネツィア共和国の軍に入った。カンブレー同盟戦争のさなかにブレシアやパドヴァの攻防に加わり、1513年にはクレマの要塞工事を任されている。のちにヴェネツィア領クレタ島カンディアの築城を監督した。
1522年、オスマン帝国のスレイマン1世がロドス島を包囲すると、聖ヨハネ騎士団の要請に応じ、ヴェネツィア当局の制止を振り切って島へ渡った。騎士団員として防衛の指揮にあたり、敵の坑道を探知する装置や対抗坑道で攻囲軍を苦しめたが、防備を点検中に銃弾で右目を失っている。ロドス陥落後は神聖ローマ皇帝カール5世に仕え、騎士団のバルレッタ管区長の位を得た。1532年、スレイマンのウィーン進攻に備えた皇帝軍では砲兵の指揮を執った。
カール5世のもとでは、パンプローナ、フエンテラビア、サン・セバスティアンの防備や、当時スペイン領だったルシヨンのサルス城とペルピニャンの築城に関わった。北アフリカのメリリャでは1527年に第一囲郭の工事を点検し、塔の改修を指導している。1538年にはティツィアーノが、騎士団の黒衣をまとった隻眼の姿で彼の肖像を描いた。1543年、ヴェネツィアで没した。
数学者ニコロ・タルターリャと親交があり、タルターリャの著作『さまざまな問いと発明』では主要な対話者として登場する。自ら築城書を著した形跡はないが、ヴェネツィアとハプスブルク家の双方に仕え、火砲の時代の築城術を地中海の各地で実地に展開した技師の一人である。
北アフリカ沿岸のスペインの自治都市メリリャで、海に突き出た岩の半島を占める城…