フランボワイヤン
グラン=プラス
ベルギーの首都ブリュッセルの中央広場。15世紀のブラバント・ゴシックの市庁舎、1…
建築家 / Architect
ブリュッセルの建築家(1649–1719)。オランダ語名はウィレム・デ・ブライン。1649年3月にブリュッセルで洗礼を受け、宮廷の石工親方であった同名の父が1669年に没すると、その職を継いだ。修業のためイタリアへ赴き、早くから自らを「建築家」「技師」と称した。1685年から没するまでの30年余り、ブリュッセル市の工事監督官(市建築家)を務めた。
1695年のフランス軍の砲撃で市の中心部が壊滅すると、グラン=プラスの再建で中心的な役割を担い、市当局は1696年2月に彼の広場再建計画を承認した。景観の統一を求める総督マクシミリアン2世エマヌエルと、独自性を示したいギルドとの調整にもあたった。広場では、7軒の家を一つの正面にまとめた「ブラバント公の家」のほか、醸造業組合の家「黄金の木」、「天使」、仕立屋組合の家「金の小舟」の図面に署名が残る。署名は審査の承認にすぎないとの見方もあるが、これらの建物はいずれも複数階を貫くジャイアント・オーダーによる記念碑的な構成を共有している。
晩年の1713年、損傷していた聖ニコラ教会の塔に石造の尖塔を載せる設計が実行されたが、翌年に塔は崩落し、その評価に傷を残した。1719年に没した。