グラン=プラス Grand-Place
ベルギーの首都ブリュッセルの中央広場。15世紀のブラバント・ゴシックの市庁舎、1695年の砲撃後に再建されたバロックのギルドハウス群、19世紀にネオ・ゴシックで再建された「王の家」が、約68×110メートルの石畳の空間を囲む。
§1 — 概要概要
グラン=プラス(仏 Grand-Place/蘭 Grote Markt)は、ベルギーの首都ブリュッセルの旧市街の中心にある広場である。市庁舎と「王の家」が広場を挟んで向かい合い、残る周囲をギルドハウスと少数の個人邸宅が隙間なく取り囲む。広さは約68×110メートルで、全面が石で舗装されている。オランダ語名の「大市場」が示すとおり、もとは市で最大の市場であった。単体の建物ではなく、中世末から19世紀までの建築が一つの囲われた空間として完結している点に、この場所の建築的な価値がある。
歴史
11世紀末、センヌ(Senne)川の河港に近い湿地の跡に青空市場が開かれたのが始まりで、1174年の文書には「下の市場」として現れる。13世紀初頭には公爵所有の屋内市場(肉・パン・布)が広場の北辺に建ち、14世紀以降、市と商人層の力が増すにつれて、市は広場をふさぐ建物を取り除いて輪郭を整えた。1401年には市庁舎の建設が始まり、1455年ごろに宮廷建築家ヤン・ファン・ライスブルックの塔が完成して、広場は市政の中心となった。これに対抗するようにブラバント公は1504年から1536年にかけて、向かいの布市場とパン市場の跡地に行政庁舎を建てた。これがのちに「王の家」と呼ばれる建物である。
1695年8月、大同盟戦争のさなか、ヴィルロワ元帥率いるフランス軍がブリュッセルを砲撃し、広場の建物の大半が焼失した。砲撃の目標とされた市庁舎は、皮肉にも外壁と塔を残した。再建はギルドと所有者の手でわずか数年のうちに進められたが、市当局は図面の事前審査を義務づけ、建物の並びも整えた。そのためゴシック、バロック、ルイ14世様式が混在しながらも、調和のとれた景観が生まれた。市の工事監督官ギヨーム・ド・ブリュインは再建計画をまとめ、いくつかのギルドハウスの図面にも名を残している。
18世紀末のフランス支配下でギルドは廃止され、建物は荒廃した。19世紀半ばから文化財としての価値が見直され、市長シャルル・ビュルスのもとで修復と復元が進んだ。王の家は1870年代から1896年にかけて、市建築家ヴィクトル・ジャマールがネオ・ゴシック様式で再建した。20世紀には駐車場として使われた時期もあったが、市民運動を受けて1972年に駐車が廃止され、1990年には歩行者空間となった。
建築的特徴
広場の軸をなすのは市庁舎である。フランボワイヤンの装飾をまとう正面から高さ96メートルの塔が立ち上がり、屋根の上で八角形の透かし尖塔へと絞られて、頂の聖ミカエル像に至る。
周囲のギルドハウスは、間口の狭い敷地に高く立ち上がる石造の家々で、ピラスターやバルストレード、彫刻を重ねた正面と、凝った輪郭の破風を頂く。意匠の基調はイタリアのバロックにフランドルの伝統を加えたもので、各ギルドは職業にちなむ造形で自らを表した。船頭組合の家「ル・コルネ」(6番)が船尾をかたどった破風を掲げるのはその好例である。ド・ブリュインの設計とされる「ブラバント公の家」(13〜19番)は、7軒の家を一つの宏壮な正面にまとめ、複数階を貫くジャイアント・オーダーで記念碑性を与えている。
王の家は、16世紀の後期ゴシックの姿を下敷きにしながら、ジャマールが中央の塔と2つのギャラリーを新たに加え、彫像で正面を飾ったもので、中世の意匠を19世紀の目で再構成した例である。
意義・現在
グラン=プラスでは、中世都市の自治、ギルドの富、近世の戦災と再建、19世紀に芽生えた文化財保護の意識という、ブリュッセルの歴史の層を一つの広場で読み取ることができる。1852年にギルドハウスの一つに滞在したヴィクトル・ユゴーは、ここを世界で最も美しい広場の一つと見なしていた。1998年にユネスコ世界遺産に登録された。王の家は1887年からブリュッセル市立博物館として使われ、市庁舎の15世紀の彫刻の原品などを収める。ギルドハウスの多くは商店や飲食店に転用され、醸造業組合の家にはビール醸造の博物館がある。偶数年の8月に広場を覆うフラワーカーペットや、初夏の歴史行列オメガングの舞台としても知られる。