EST. 2026 — Editorial Archive of Notable Architecture
伊東忠太
© 作者不明 / Public domain

建築家 / Architect

伊東忠太

Itō Chūta

伊東忠太(1867–1954)は、明治から昭和にかけて活動した建築家・建築史家である。出羽国米沢(現・山形県米沢市)に生まれ、1892年に帝国大学工科大学造家学科を卒業した。翌1893年に発表した「法隆寺建築論」で、法隆寺を日本最古の寺院建築として学術的に位置づけ、日本建築史という研究分野の基礎を築いた。1894年には、architectureの訳語を芸術の意味を欠く「造家」から「建築」へ改めるよう提唱し、学会や大学の学科名の変更につながった。

1902年から3年間、日本建築の源流を探るため中国・インド・トルコを旅し、欧米を経て帰国した。この経験をもとに、アジア各地の様式を参照しながら日本の建築を発展させるべきだとする「建築進化論」を唱え、自らの設計にも反映させた。東京帝国大学教授を1928年まで務めた後、早稲田大学でも教えた。

作品は、木子清敬と共同で設計した平安神宮(1895年)や、明治神宮の造営への参画といった神社建築から、インドの仏教建築の意匠を取り入れた築地本願寺(1934年)、霊獣や怪物の彫刻を随所に配した一橋大学兼松講堂(1927年)や震災記念堂(1930年)まで幅広い。神社については木造の伝統を重んじる立場をとったが、関東大震災で焼失した神田神社の復興に設計顧問として関わった際には、耐火・耐震のため鉄骨鉄筋コンクリート造を採った。靖国神社では、関東大震災で損壊した遊就館の再建(1932年)の設計に加わり、1934年完成の神門を設計した。

1943年、建築界で初めて文化勲章を受章した。

生没
1867 — 1954
国籍
日本
運動
—
登録作品
1

代表作

Works
日本建築 靖国神社
1872 · 千代田区
靖国神社

東京・九段坂上の神社。1869年に戊辰戦争の戦没者を祀る東京招魂社として創建され…

データ: Wikidata (Q1050457) / 肖像: © 作者不明 / Public domain — Wikimedia Commons
ENTRY ID — ARC-1692