稜堡式要塞
テレジーン
チェコ北部、エルベ川とオフジェ川の合流点近くに築かれた稜堡式の要塞都市。1780…
建築家 / Architect
ハプスブルク君主国の軍人で、工兵と築城の総監を務めた。1720年にヴェローナで生まれ、兄弟とともにオーストリア軍に仕えた。1734年のフィリップスブルク攻囲戦に少年士官として加わり、七年戦争ではブレスラウの戦い(1757年)での働きによりマリア・テレジア軍事勲章を受けている。
1769年に工兵・坑道兵・塹壕兵の各隊の指揮を任され、まもなく築城を含む工兵事務全体の総監となった。測量や坑道戦を担う兵科の組織と教育を整えたのは、彼の功績とされる。この立場のもとで、ボヘミア北部のテレジーンと東部のヨゼフォフの両要塞が1780年に着工し、フラデツ・クラーロヴェーの要塞も計画された。テレジーンでは1790年の完成の検分に立ち会っている。ただし両要塞の具体的な設計には、フランツ・ラウアーら配下の工兵将校が深く関わっており、彼一人の作とみることはできない。
1789年のベオグラード攻囲では、ラウドン元帥が一時指揮を離れた際に代わって指揮を執り、攻略に貢献した。1792年に金羊毛騎士団員となり、1796年にウィーンで没した。