朝鮮半島の建築
昌徳宮
ソウル北部、鷹峰の山裾に営まれた朝鮮王朝の宮殿。1405年に景福宮の離宮として創…
建築家 / Architect
朴子青(パク・チャチョン、Park Ja-cheong / 박자청、1357–1423)は、朝鮮王朝初期の武官である。首都漢陽(現在のソウル)の宮殿・祠廟・王陵・都市基盤の造営を監督し、朝鮮初期を代表する建築家とみなされている。慶尚道寧海の出身で、低い身分から身を起こした。
高麗末に開国功臣の黄希碩に仕え、武官となった。朝鮮建国後の1393年、宮門の警備に就いていた際、王命のないまま門を通ろうとした太祖の弟を拒み続けて負傷し、その忠実さを太祖に認められて昇進した。1394年に宮廷の土木と営繕を担う繕工監の少監となり、以後は工曹判書や判漢城府事を歴任しながら、太宗・世宗の二代にわたって国家の主要な工事を指揮した。
代表的な仕事は、1405年に創建された昌徳宮の造営である。1419年、仁政門の外の庭を方形にしなかったとして上王太宗に投獄されたが、背後の山脈を傷つけずに広さを確保した台形の配置は、そのまま宮殿に残った。このほか成均館の文廟、太祖の健元陵、1412年の景福宮慶会楼(建物は19世紀の再建)、清渓川の整備、鍾路の市廛の行廊などにも携わった。
『世宗実録』に収められた卒伝は、身分の低い出自を背景にその人柄を厳しく評しつつも、土木の功績によって一品の位に至ったことを記す。地形を読み、短い工期で大規模な工事をまとめ上げた実務家として、近年の韓国では漢陽の都市と建築の基礎を築いた人物として再評価が進んでいる。