EST. 2026 — Editorial Archive of Notable Architecture
PORTRAIT

建築家 / Architect

パヴェル・ヨアノヴィチ

Pavel Ioanovich

パヴェル・ヨアノヴィチ(Павел Йоанович)は、19世紀前半にアトス山とブルガリアで活動した聖堂建築の棟梁で、出身地から「クリミンのパヴェル」とも呼ばれる。生年は18世紀後半とみられ、没年は不詳。現在のギリシア北部、コザニ地方のクリミニ村に生まれ、同村出身の棟梁一族のもとで育った。父ヨアンもアトス山のゾグラフ修道院で聖堂を建てた棟梁である。

1801年から、父や兄弟とともにゾグラフ修道院の主聖堂の建設に従事し、現場を統括する立場にあったと考えられている。続いてヒランダル修道院の主聖堂の改修(1802–04年)、エスフィグメヌ修道院(1806–10年)やクセノフォントス修道院(1809–19年)の主聖堂など、アトス山で相次いで聖堂を手がけた。煉瓦の比率の高い石と煉瓦の混構造、段状に重ねたアーチ開口が彼の仕事の特徴とされる。1821年のギリシア独立戦争で同地の工事が止まると、現在の北マケドニアのビトラに移ったとみられる。

1834年、1833年の大火後のリラ修道院に招かれ、焼け残った中世の聖堂に代わる新しい主聖堂を1837年までに完成させた。西側の大理石板には、主任棟梁として名と出身地を記した1835年の銘が残る。五つのドームを十字形に配したこの聖堂によって、アトス山で磨かれた聖堂建築の手法がブルガリアにもたらされた。1842年にビトラから修道院へ宛てた書簡が、彼に関する最後の記録である。

生没
—
国籍
ギリシャ
運動
—
登録作品
1

代表作

Works
ENTRY ID — ARC-1652