EST. 2026 — Editorial Archive of Notable Architecture
リラ修道院
© Raggatt2000 / CC BY-SA 3.0
FIG. 01 — Q207945
様式 · ブルガリア民族復興期建築 時代 · 中世 類型 · 宗教建築 ★ 世界遺産「リラ修道院」(1983年登録)

リラ修道院 Monastery of Saint John of Rila

Рилски манастир

ブルガリア南西部、リラ山地の谷にある同国最大の正教会修道院。10世紀の隠修士リラの聖イヴァンに起源をもつ。14世紀のフレリョの塔と五つのドームの主聖堂を、1833年の大火後に再建された城塞のような僧房が囲む。

FIG. 02 — Location42.1344° N 23.3396° E
ブルガリア キュステンディル州 リラ
§1 — 概要

概要

リラ修道院(Рилски манастир / Rila Monastery)は、ブルガリア南西部キュステンディル州、首都ソフィアの南約117キロのリラ山地にある、ブルガリア正教会最大の修道院である。正式には「聖イヴァン・リルスキ修道院」と称し、10世紀にこの山中で隠修生活を送ったリラの聖イヴァン(876–946年)を起源とする。リルスカ川の谷の標高約1,150メートルに、14世紀の防御塔と19世紀に再建された僧房・主聖堂が一体となった複合体が建つ。オスマン支配の時代にブルガリア語の写本と信仰を守った場として、1983年に世界遺産に登録された。

歴史

伝承では、修道院は皇帝ペタル1世の治世(927–968年)に、イヴァンのもとに集まった弟子たちによって開かれた。イヴァン自身は近くの洞窟で隠修を続けたという。修道院は第二次ブルガリア帝国の歴代皇帝の庇護を受けて栄え、14世紀前半に地方領主フレリョ・ドラゴヴォルが現在地に移して再建した。1334〜35年に築かれたフレリョの塔は、敷地に残る最古の建物である。

14世紀末からのオスマン支配下では襲撃と破壊を受けたが、15世紀後半にスルタン・ムラト2世の妃だったセルビア出身のマラ・ブランコヴィチや、アトス山のロシコン修道院の支援で再建され、1469年には聖イヴァンの聖遺物がタルノヴォから戻された。18世紀以降は民族復興運動の拠点となり、ネオフィト・リルスキが学校を開いている。

1778年の焼き討ちを経て、1816〜19年には棟梁アレクシ・リレツが東・北・西の三翼の僧房を新築した。しかし1833年1月の大火で、塔と聖堂を除く建物の大半が焼失する。翌1834年から再建が始まり、リレツが僧房を建て直す一方、焼け残った中世の聖堂は取り壊され、アトス山で経験を積んだ棟梁パヴェル・ヨアノヴィチが1837年までに新しい主聖堂を完成させた。塔には1844年に鐘楼が加えられ、再建は1862年ごろまで続いた。

1961年に国有化されて国立博物館となり、修道士は一時退去を強いられたが、1968年に帰還した。1991年に修道院としての地位が回復し、ブルガリア正教会の聖シノドに直属するスタヴロピギアとなっている。

建築的特徴

敷地は約8,800平方メートルで、4〜5層の僧房棟が不整形の中庭を囲む。外周は高い石壁に小さな窓が並ぶだけの閉じた構えで、山中の城塞を思わせる。対して中庭側では、縞模様に彩色したアーチのアーケードと木造の回廊が各階に重なり、明るく開いた表情を見せる。縞の意匠はアブラクに通じ、マムルーク朝建築の影響が指摘される。僧房には約300の房室のほか、礼拝堂、修道院長室、図書館、寄進者の間が収められ、厨房は高さ24メートルに達する。大火の教訓から、屋根を突き抜けて立ち上がる防火壁が要所に設けられた。

中庭に立つフレリョの塔は石造の防御塔で、最上階のキリスト変容礼拝堂には14世紀のフレスコが残る。その脇の主聖堂(生神女誕生聖堂)は修道院のカトリコンで、五つのドームを十字形に配し、南北に聖ニコライと聖イヴァン・リルスキに捧げた礼拝堂を添える。内部に独立した前室はなく、西・北・南の三方をめぐるアーケード回廊がナルテクスの役割を担う。壁画は1846年までにサモコフ、バンスコ、ラズログの画家たちによって描かれ、民族復興期を代表する画家ザハリ・ゾグラフと兄ディミタルも加わった。内陣は金箔を施した木彫のイコノスタシスで仕切られる。

意義・現在

1983年の世界遺産登録にあたり、ユネスコは修道院を中世文明の証しとしてではなく、19世紀のブルガリア民族復興の象徴として評価し、登録基準は(ⅵ)のみが適用された。審査した国際記念物遺跡会議(ICOMOS)は、ほぼ全面的に再建された建物の真正性に疑問を示しており、この登録は建物の古さより、再建そのものが担った民族的な意味を重んじた例である。

現在も約60人の修道士が暮らす現役の修道院で、2002年にはローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が訪れた。1999年発行の1レフ紙幣の図柄にも採られ、2008年の来訪者は約90万人に上った。

関連する建築

Related
同じ時代
ペルシア建築 タージ・マハル
1653 · アーグラ
タージ・マハル
Ahmad Lahori

インド北部アーグラ、ヤムナー川南岸に立つ白大理石の霊廟。ムガル帝国の皇帝シャ…

同じ時代
バシリカ アヤソフィア
537 · イスタンブール
アヤソフィア
Anthemius of Tralles

東ローマ皇帝ユスティニアヌス1世が6世紀に建てたコンスタンティノープルの大聖堂…

データ: Wikidata (Q207945) / 解説: Wikipedia 日本語版 · English / 画像: © Raggatt2000 / CC BY-SA 3.0 — Wikimedia Commons
LAST EDIT — 2026.10.09
ENTRY ID — BLD-1224