EST. 2026 — Editorial Archive of Notable Architecture

ブルガリア民族復興期建築

Architecture of the Bulgarian Revival
年代
1700 — 1878
地域
ブルガリア(バルカン半島)
時代
新古典・歴史主義

ブルガリア民族復興期建築(Architecture of the Bulgarian Revival)は、オスマン帝国の支配下にあったブルガリアで、18世紀から1878年の解放前後にかけて展開した建築をいう。「民族復興(ヴァズラジダネ)」と呼ばれる文化・民族運動の時代に重なり、手工業と交易で力をつけた町人層の住宅をはじめ、教会、学校、時計塔などに独自の姿が現れた。

形態の中心は住宅にある。石積みの基礎と低層部の上に木造の上階を載せ、深い軒と石板や瓦の屋根で覆う。上階にはチャルダクと呼ばれる屋根付きの半屋外空間を設け、各室への動線と夏の居間を兼ねさせた。通りや庭へ張り出す小部屋(キョシュク)、木彫の天井、壁画で飾った室内も特徴である。18世紀には二階建てが一般化し、19世紀に入るとプロヴディフで対称形の平面と華やかな外観をもつ邸宅が完成した。山地と平野、素材や構法の違いに応じて地域ごとの型が分かれ、プロヴディフ旧市街、コプリフシティツァ、トリャヴナ、ジェラヴナなどにまとまった町並みが残る。

公共建築では、町の職人組合が時計塔を建て、町の輪郭を変えた。教会は小規模なものから次第に大型のバシリカへと発展し、独立した鐘楼を伴うようになる。担い手は「ウスタ(親方)」と呼ばれた棟梁たちで、それまで匿名だった建築に作者の名が現れるのもこの時代である。リラ修道院の僧房を手がけたアレクシ・リレツは建物に名を刻み、19世紀後半にはコリュ・フィチェト(ニコラ・フィチェフ)が、ヤントラ川のビャラ橋(1865–67年)やスヴィシュトフの聖三位一体聖堂(1867年)で名声を得た。

本データベースではリラ修道院がこの様式を代表する。1833年の大火後に再建された同修道院は、城壁のように閉じた外周、彩色アーケードのめぐる中庭、五つのドームをもつ主聖堂によって、民族復興の象徴とみなされてきた。

位置づけには二つの見方がある。国際的な分類ではオスマン建築の地域的な展開として扱われ、実際、張り出し部屋や木造の上階はアナトリアのオスマン期住宅と多くを共有する。一方ブルガリアでは、中世の第二次ブルガリア帝国以来の伝統を引き、民族の自立を体現する建築として語られてきた。解放後は西欧から歴史主義や折衷主義が流入して新築の主流から退いたが、残された町並みは20世紀以降、保存の対象として受け継がれている。

ブルガリア民族復興期建築
§1

代表建築

Buildings
§2

様式の系譜

Lineage
親様式
オスマン建築
→
本様式
ブルガリア民族復興期建築