ノヴォデヴィチ墓地
モスクワ、ノヴォデヴィチ女子修道院の南壁の外に広がる墓地。1898年にロディオノ…
建築家 / Architect
ロシアの建築家、文化財修復家。1859年、ウラジーミルの貴族の家に生まれた。1883年にモスクワ絵画彫刻建築学校を修了し、クリン市の建築家を経て1889年にモスクワへ移った。1894年からは正教会の宗務院管理局の建築家を務め、聖堂の新築と古建築の修復を数多く担当した。
設計の幅は広く、モスクワ合唱シナゴーグの改築(1895年)、ボリシャヤ・ポリャンカ通りのイヴェルスカヤ聖堂(1896〜1901年)、近郊の領主館や工場町の聖堂などがある。作風は折衷主義からモダンにまたがる。修復の分野では、ニコライ2世の戴冠に向けたクレムリンの生神女就寝大聖堂の整備に委員として加わり、ノヴォデヴィチ修道院の修復工事も担った。この縁から、1898年に拡張が決まったノヴォデヴィチ墓地の区画と外周壁を、イヴァン・マシュコフとともに設計している。
1907〜15年にはモスクワ県ゼムストヴォ(地方自治会)の参事として統計・建設部門を率いた。1925年にモスクワで没し、ノヴォデヴィチ修道院に葬られた。
モスクワ、ノヴォデヴィチ女子修道院の南壁の外に広がる墓地。1898年にロディオノ…