ジョージア西部、古都クタイシ近郊の丘に立つ正教会の修道院。1106年に国王ダヴィ…
ジョージアの建築とは、南コーカサスのジョージア(旧称グルジア)で発達した建築の伝統をいい、とりわけ4世紀のキリスト教受容以降、中世に独自の展開をみせた石造の教会建築を中核とする。英語圏でいう「ジョージアン様式」(18〜19世紀イギリスの古典主義建築)とはまったく別の系統である。ビザンティン建築やアルメニア建築と共通の基盤をもちながら、高く掲げたドームと浮彫で飾った外壁によって固有の姿を示す。
初期には長方形平面のバシリカ式が主流で、5世紀末のボルニシ・シオニ聖堂などが知られる。6世紀末から7世紀初めには、四方に半円形の張り出しをもつ平面にドームを載せたジュワリ修道院の聖堂が建てられ、同じ系統の平面はアルメニアにも広がった。7世紀のツロミ聖堂では独立した柱でドームの胴部を支える構成が試みられ、内部空間の扱いに幅が生まれた。
10世紀末から11世紀にかけて統一王国が成立すると、クタイシのバグラティ大聖堂、ムツヘタのスヴェティツホヴェリ大聖堂、アラヴェルディ聖堂といった大聖堂が相次いで建てられた。内接十字の平面に、高いドラムと円錐形の屋根をもつドームを立てる構成が定型となり、十字形の量塊がそのまま外観に表れる。外壁は盲アーケードで分節され、壁面や窓まわりには植物・鳥獣・人物を題材とした浮彫が施された。東面の中軸に二つの菱形の窪みを穿ち、装飾窓と十字架を配する意匠は、サムタヴィシ聖堂に始まり13世紀まで用いられている。
ダヴィト4世から女王タマルの治世にかけての「黄金時代」には、王家の墓所と学術機関を兼ねたゲラティ修道院や、岩山を掘り込んだヴァルジア修道院が営まれた。12世紀の聖堂では壁画をよく見せるために窓が増え、内部が明るくなる。13世紀半ばからは聖堂の脇に鐘楼を建てることが広まった。国外でも、アトス山のイヴィロン修道院やブルガリアのバチコヴォ修道院がジョージア人によって創建されている。
13世紀のホラズムとモンゴルの侵入、1283年の大地震を経て大規模な建設は衰え、14世紀の聖堂ではドラムが低く太くなり、装飾は扉と窓のまわりに限られていく。ゲルゲティの三位一体教会はこの時期の作例である。一方、山岳地帯のスヴァネティやヘヴスレティには、石積みの塔住居や城塞集落といった世俗建築の伝統が残る。19世紀以降は歴史主義、ソビエト期には社会主義リアリズムやブルータリズムがもち込まれたが、ドームを高く掲げた中世聖堂の姿は、トビリシの三位一体大聖堂のような現代の聖堂にも引き継がれている。