アラン建築学派
アラン建築学派(アラン派)は、中世以降のアゼルバイジャン建築を構成する地方的な流派の一つである。カスピ海と大カフカス山脈の南、クラ川とアラス川に挟まれた低地「アラン(アッラーン)」――ガンジャ、バルダ、ベイラガンを中心とする地域――で、9〜10世紀のカリフ国分裂後に小国家が形成されるなかで、ナヒチェヴァン派、シルヴァン・アブシェロン派、タブリーズ派などと並んで成立した。
技法上の最大の特色は、焼成煉瓦と河原石(割石)を組み合わせる組積にある。ガンジャの12世紀の橋、浴場、住居などの遺構がその特質を伝えるが、初期の建築の多くは1139年のガンジャ地震とモンゴルの侵攻によって失われ、今日では考古学的発掘や同時代の記述を通じて知られる。
アランの建築伝統は後世にも受け継がれ、18〜19世紀のカラバフ・ガンジャ地方では、地域固有の様式として再び展開した。石造の本体に煉瓦造の円筒形ミナレットを組み合わせるシュシャの諸モスク――キャルバライ・サフィハン・カラバヒによる上下のギョヴハル・アガ・モスクなど――は、この学派の19世紀における到達を示す。シュシャの城壁もまた「アラン様式」で築かれたと評される。多彩な釉薬装飾を誇るナヒチェヴァン派や、簡素な石彫を旨とするシルヴァン・アブシェロン派と比べ、アラン派は石と煉瓦を併用する構築の論理を前面に出す点に特色がある。地域の素材と気候に根ざした実直な構築性が、この学派を一貫して特徴づけている。