ペルシア建築
タージ・マハル
インド北部アーグラ、ヤムナー川南岸に立つ白大理石の霊廟。ムガル帝国の皇帝シャ…
建築家 / Architect
ウスタード・アフマド・ラーホーリー(Ustad Ahmad Lahori、1580年頃–1649年)は、ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンに仕えた主任建築家である。名の「ラーホーリー」は出身地ラホール(現パキスタン)に由来する。建築家・技術者を輩出した家系に育ち、その系譜は中央アジアのティムール朝の伝統につらなるとされる。幾何学・算術・天文学に通じ、ユークリッドやプトレマイオスの著作にも親しんだ数理の素養が、その精緻な設計を支えたと伝えられる。
シャー・ジャハーンの宮廷で重んじられ、皇帝から「ナーディル・アル=アスル(時代の驚異)」の称号を授けられた。代表作とされるのがタージ・マハルである。ただし造営当時の宮廷記録は設計者を個人名で記しておらず、彼を設計者とみなす根拠は、墓碑の記述と後世の研究による帰属に拠る。実態は、各地から集められた建築家・工匠の案を統括する立場であったと考えられている。このほか、デリーの赤い城(ラール・キラー)の設計者の一人に数えられ、新都シャージャハーナーバードの造営にも関わった。
没後、その仕事は息子で同じく技術者のルトフッラー・ムハンディスらに受け継がれた。なお、タージ・マハル完成後にシャー・ジャハーンが彼の目を潰し腕を切らせたという俗説は、後世の作り話であり史実ではない。設計者の確定こそ難しいものの、ムガル建築が頂点を極めた時代を技術の面で束ねた中心人物として位置づけられる。